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ペットとの別れ、そして死を体験したあなたへ
ねこちゃんを亡くされた方のお話を掲載しています。
子供の頃からずーっと飼ってみたかったスコティッシュフォールドをやっと飼い始めて13年6ヶ月
うちの海くんが2024.1.10に虹の橋を渡りました。
子供の頃から猫飼ってお別れは何度も経験はあるのですが、海くんは
大人になって初めてペットショップから自分の働いたお金で買ったり猫ちゃんなので特別な思いがありました。
当時付き合ってた人と飼い始めた猫ですがその方と別れた後も海くん
ずーっとそばで寄り添ってくれました。
ツンデレの海ちゃんだったけど、夜寝る時はいつも枕元に来て一緒に寝てくれてました。
病気もせずに13年元気にいたコなので去年の12月に仕事から帰って来たら痙攣起こしていたので慌てて病院に連れて行き、3日間入院しました。
その後家で療養してたのですが、てんかん重積で約1ヶ月間の闘病ののち亡くなりました。
それまでは元気だったから気持ちが追いつかず泣くばかりです。
もっと他の治療法はなかったのかな?などと後悔してます。
海ちゃん!虹の橋に旅立って病気も治ったかな?
痙攣で麻痺して動かなかった右足も動くようになったかな?
何もしてあげられなくてごめんね。
これからはお空で見守っててね☆
今月初旬の日曜日の夕方、5歳の愛猫が突然、右前足が骨折したように折れ曲がり苦しそうな呼吸をしながら部屋中を走りだしました。
異変直後だったので、すぐに近所の病院に連れて行き注射を打ち連れて帰ってきましたが、みるみるうちに体を震わせ呼吸困難がひどくなり、即病院に連れて行き心臓のレントゲン撮りますと言う獣医を信頼し入院となりました。
私は不安と心配で眠れず朝を迎えた早朝に獣医から電話があり、深夜2:30頃見た時は震えていたが朝起きたら息が止まっていたと言われたました。
あんなに苦しそうにしていた愛猫をいち早く連れて行ったのに、結局レントゲンも撮っておらず呼吸困難時の対処もせず、10時間以上苦しむ猫をほったらかしにしていたのかと思うと怒りと悲しみで、胸が張り裂けそうになります。
緊急処置ができないのなら緊急病院の紹介をしてくれたらよいのにと、10時間あったのなら別の病院に行きますと言えばよかったのにと、苦しむ愛猫が何時間も痛みに耐え続け、一人で息を引き取ったことを思うと胸が苦しく入院させてしまった私自身の判断に後悔ばかりで涙が止まりません。
私が獣医に思うことは、高額な金額がかかるとしても転院や命を助ける方法をいくつか提示していただき、選択は飼い主にさせてほしいと思います。
私が見た限りでも前足が麻痺して冷感があり、呼吸が荒くどうみても重症であったにもかかわらず、入院後は何も処置してもらえなかったことが悲しく苦しく受け止められません。
初めから緊急動物病院に連れて行くべきでした。長い時間苦しめてしまったこと、一生消えない心の傷です。
2024年5月30日、愛猫のアウラ(白猫 雄)が15歳7か月で虹の橋を渡りました。
15年前、知人宅の庭にいたのを貰い受けたのですが、穏やかでとても優しく、いつも私の膝の上に飛び乗ってきたり、就寝中、私の布団に乗ってくるなど、甘えん坊でした。
先住ネコのルーチェ(メス 2020年9月9日18歳6か月で死亡)の死後、譲渡会に出向いたとき、アウラの性格がスタッフの目にとまったのがきっかけで預かりボランディアを頼まれるようになりましたが、気性の荒い保護猫たちが、アウラに対して次々に心を開いていきました。
かつら(白黒 メス 推定15歳)も気性の激しい保護猫でしたが、アウラを通して抱っこできるまで人馴れしました。
残念ながら、かつらは腎不全のため譲渡会には出せず、預かって1年半後に亡くなりましたが、亡くなる直前、アウラはかつらの顔をペロペロなめてくれました。
アウラが15歳を迎えたあたりから、徐々にフードを食べる量が減ってきたので覚悟はしていました。
大型連休あけから給餌を嫌がる、抱っこをした私の手を振りはらうといった行動が見られるようになりましたが、今、思い返すと、アウラなりに自分の命の残り時間を感じ、私に心の準備をさせてくれたのかもしれません。
当日は、仕事の都合で遅い時間に帰宅、アウラは苦しそうな呼吸をしていました。
そして30分後、私に見守られながら息を引き取りました。
アウラは、苦しみながらも私の帰りを待っていてくれたと思います。最後まで、飼い主思いの優しい子でした。
アウラと過ごした日々は私にとって大切な宝物です。
アウラ、15年間、うちの子でいてくれてありがとう。たくさんの思い出をありがとう。
2024年2月7日に大切な長女猫のふく(享年14歳8ヵ月)が鼻腔内腫瘍(悪性リンパ腫)で虹の橋を渡ってしまいました。
親バカだと思われるかもしれませんが、家の中の壁や柱は勿論のこと、床もソファーも襖も何もかもが無傷で、爪研ぎ以外の場所で爪を研ぐことも一切しない本当にお利口な子でした。
推定1歳の時に我が家に迷い込んできてから沢山の思い出を作ってくれましたが、思えば保護直後から最期まで、ずーっと病院通いの猫生でした。
保護して間もない頃に動物病院で腹部のレントゲン撮影した際に一緒に写った心臓の画像から“バレンタインハート(肥大型心筋症)”と診断され、以来亡くなる直前までずーっと全く嫌がらずに薬を飲み続けました。
嫌がるどころか、ビーフ風味が気に入ったのか、自ら服用してくれていたぐらいです。
2023年11月中旬頃からの猫風邪症状に始まり、途中から顔面の左右非対称と左眼の涙目、鼻詰まりのため、段々食欲が減退し、当然体重も減少し続けたため、たまらず年末に強制給餌に踏み切りました。
この頃は、毎日ビタミン剤入りの皮下点滴とステロイド注射のため、土日や年末年始も関係なく通院しました。
2024年1月下旬にCT撮影と食道チューブ造設に至りましたが、腫瘍がおでこに近い部分にあったため、脳への浸潤で発作を起こし、ICUに1泊入院しました。
2月7日午前中の受診待ちの際に待合室で発作を起こし、緊急対処頂いた後、病院では今出来る治療は目一杯だと言われ、帰宅することにしましたが、帰宅途中の車の中で呼吸が停止していることに気付き、電話をした上で急遽病院に引き返し、直ぐに30分以上に渡って心肺蘇生をして頂きましたが、残念ながら戻ってきませんでした。
その時のふくの眼は、最期まで私を見ていてくれてました。
あれから1ヵ月経過しましたが、現在「これが所謂“ペットロス”というものか・・・」という感覚が続いており、ふくの画像や動画を見ながら毎日泣いてばかりです。
ふくと一日でも長く過ごしたくて、その時その時でベストな判断をしてきたつもりでしたが、果たしてふく自身にはそれは良い判断だったのか、ふくを苦しませ続けただけったのではないだろうか?・・・と後悔と反省の毎日を送っています。
ただ「入院中の病院で無人となる夜間の時間帯や、我々が仕事に出掛けている間に逝ってしまわなくて良かった」と思うばかりです。
ふくちゃん、ウチの子になってくれてありがとう。
沢山の思い出を作ってくれてありがとう。
猫のチーシェを亡くしました。推定22歳5ヶ月。
16歳で動物管理センターから引き取り、それから6年5ヶ月、一緒に暮らしました。
今年に入って、口内炎か癌らしきものが口腔内にできて、それが自壊しては膿が顎あたりから出て、という7ヶ月間でした。最初は膿が出ると、元気になってご飯ももりもり食べて。だんだん、何度か自壊することを繰り返すにつけ、弱って行く姿を見るのは、本当に辛かったです。年齢もあって、対処療法をするしかなかったですが、それを受け入れていくには、覚悟も必要だと思いました。
でもいつも生きることしか考えていない、ちーちゃんを見るにつけ、
私もできる限り、明日のことも考えず、その日のことだけを考えて毎日サポートしました。
寝たきりになっても、ご飯を食べてくれ、トイレにもいけなくなっても、私がいれば鳴いてトイレを教えてくれる、なんて賢いのかと、二人三脚で、一心同体で暮らしていたように思います。
なくなる寸前まで、きっと頑張っていて、私の顔を見て、30分もしないうちに亡くなりました。まさか今だったとは、でも毎日、もう頑張らなくてもいいよ、って声をかけざるを得ない気持ちの時もありました。そう思うたびに、なんて悪い飼い主だようと、自分を責めたり。でもちーちゃんは最後まで頑張りました。
病院も嫌いだったのは、よくわかってました。せめて痛みだけでも止められたら、と思いましたが、でも往診でも飛び上がるほど、先生が嫌いだったよね。今回は私の判断で、病院は途中で打ち切りました。それは前にも、病院当日に亡くなった子がいるからです。でも緩和だけでも、させたあげたかったよね。
こんなに長生きして、なんで最後にこんなに辛い目に遭わなくちゃならないのって、本当に辛かったです。
今でもちーちゃんのベッド、近くにあって、いつもそこから私をみているように思えます。
猫さん、これまでも看取ってはきました。仕方ないことはわかってます。誰もこの年齢だと、仕方ないよ、って皆さん言います。でも、それでも飼い主にとっては辛いのです。命は永遠出ないことはよくわかってます。でも心が苦しいのです。
2023年8月11日に亡くなりました
一月前から少し食欲がなく、最初は夏バテをしたのかと思いました
今まで一度も病気をした事がなくその時は軽い事と感じていました
ちょうど台風が本格的になり始めた頃に容体が急変し、ほとんど餌も食べず気づけばかなり体重がかなり軽くなっていました
外は大荒れでまず出られる状態ではないのにどんどん悪くなっていくテツを見ているととても辛かったです
ようやく落ち着いてすぐに病院に連れて行って入院となりました
点滴を打ってくれていましたが4日後病院から連絡が入り危ない状態だと告げられました
着いた時にはもう既に息も絶え絶えの様子でした
自分を見つけたのか、鳴こうとしてももう声が出ないようでした
点滴のつながれた手を握りながら最期を看取りました
12年前に自分の父親について来てそのまま流れで飼うことになった子でした
元々いた先住の猫とはよく喧嘩をしていましたが一緒に寝たりとなんだかんだ仲良く暮らしていました
亡くなった後、家に帰って来た時はいつもとはちがう鳴き方をしたので
きっとこの子もわかったんだろうなと思いました
2匹とも噛み癖が悪く、イヤホンを買ったらすぐ噛みつこうとしてくるヤンチャな子達です。今までダメにされた本数も半端じゃありません
今使っているヘッドホンにも噛み跡が多く残っており、少し前に買い替えようかなと思っていましたがしばらくできそうにありません
部屋を眺めるとあの子の面影が多すぎてふとした瞬間に涙が溢れて止まりません
奥の部屋からまたひょっこりと鳴きながら出てきそうでずっとその場所を見てしまうのです。
テツは私の膝の上で眠っているのに
テツが最期に何を思ったのかは分かりません
もしかしたら恨んでるかもしれない
辛い思いをさせてしまったから
本当にごめんなさい。気づけなくてごめんなさい
でも、本当にありがとう。私の場所で過ごしてくれて本当にありがとう
同じ場所に行くのはいつになるのかは分からないけど、その時は大好きだった物全部持って会いに行くからね
2023年6月7日 12年と34日でお空に旅立ちました。
12年前、私のベットの上で産まれてから旅立つまで沢山の可愛い姿をみせてくれて、どれだけ私の生きる支えになっていたことか。
一緒に産まれた兄弟は早くに亡くなっちゃって、まーちゃんが1番長生きしてくれたね。
半年前に免疫が暴走しちゃう病気になってそれから毎月病院通いで、薬も沢山で、最後まで減薬することはできなかったけど、いつも頑張って飲んでくれたね。
治してあげれなくてごめんね。
最期は私のベットの上で亡くなりました。母と一緒に看取りました。
こんなに長く一緒にいたのは初めてだから、居なくなって毎日寂しいよ。
寒くなったらお布団の中に入ってきて一緒に寝てたのに、今年の冬はもうそんなことないんだね。
夢でいいから出てきて欲しいよ。ぎゅーって力いっぱい抱きしめたいよ。
全然立ち直れる気がしないし、今すぐ会いに行きたい気持ちでいっぱいだけど、まーちゃんも最期まで頑張って生きたんだから、私もちゃんと寿命まで生きないとだね。
頑張るから時々夢に出てきて抱きしめさせて。
まーちゃん、我が家に生まれてきてくれてありがとう。
出会えてよかった。
ずっと忘れないよ。
修学旅行から帰ってきたその日、迎えの車の中で大切なあの子の死を聞かされました。
私が修学旅行に行ったその日の夜に亡くなっていたそうです。
あの子は元々病気でした。吐きがちであまり食欲もありませんでした。なのに、私の不注意のせいでそれが悪化してしまい、数日前から入院していました。
だから、すごい後悔と罪悪感と、たくさんの申し訳ない気持ちで溢れてました。
「玄関にいるから。お別れしてあげな。」
父の言った通り、あの子は玄関にいました。
もう3日経っているから、体は固くて冷たくなっていました。
悲しくてどうしようもなくて、私のせいだと思ってしまって、ダンボールでできた棺に向かって「ごめんね、ごめんね、ごめんね、」と繰り返し言いました。
感謝の言葉よりも、懺悔の言葉をかけてしまいました。最後の最後まで、私はあの子に謝り続けていました。
小さい頃からずっと一緒で、でも私よりもずっと先にあの子の方が大人になったから、ガキンチョに付き合わされて嫌な思いしたと思います。私のせいで苦しい思いしたこともあったと思います。
どうしても、生きてるうちにそれを謝りたかった。買ったお土産は、どうすることもできなくて枕元にまだあります。
ほんとのところは心のどこかで、帰ってきたらもう居ないんだろうな、とは思っていました。
でも、どうしても、帰ってきたら足に擦り寄ってくるあの子が居るような気がしていました。
せめて、せめて『あの子の中の私』でありたくて、唇を噛み締めて笑顔を作りました。
ごめんね、ありがとう。最後までこんなガキンチョでごめんね。でもありがとう。
私はまだ、死というものがよく分かりません。実感も湧いていません。でも、いつか、いつかきっと、この悲しみを活かして、誰かの支えになれる日が来ると信じています。
それまでは、どうか、このガキンチョに付き合ってください。
知らない人に「猫好きじゃない?大事にしてくれそうだから良かったら見に来て」と声を掛けられ、気まぐれで訪ねたところ多頭飼育崩壊でした。猫を飼ったこともなければ犬派だったのですが、あまりに酷い状況だったので勢いで押し付けられた1匹を引き取ることになりました
青い目をしているからあおという名前を付けました。
最初はあまりにうるさいので他に里親を探そうと思っていました。
多頭飼育崩壊しているところから引き取ったので、うちに来て1ヶ月程してからウイルス検査をすると猫白血病陽性でした、それでは引き取り手などある訳もないためうちで面倒を見ようと決めて大事にしていました。
そのまま発症しない子もいると言われ、娘であり大親友のあおと過ごしてきました。年1回のワクチンの際も健康そうだし大丈夫だねと言われました。とても賢くて優しい猫で、いつもお出迎えをしてくれたり甘えてくれたりして、日常に色が付いた気分でした。
気付いたらあおに夢中で、本当に愛しい存在でした。毎晩「あおずっと一緒にいようね」と言って撫でて寝るのが習慣になっていました。
先月の終わりか今月の上旬に咳をしていて目が覚め、仕事を休んで病院へ連れて行きました。熱があったようで、抗生物質を処方されましたが効果がなく、少しずつ悪くなっていく姿を見るしかありませんでした。それでも甘えてくれたり、無理をしていたのかもしれませんが好物は食べてくれたり夜もいつも通り一緒に眠ったりしてくれました。
病院が大嫌いな子で、ストレスになるので最後は苦しんでも自宅で最期まで看取ろうと思っていました。
亡くなった日に帰宅すると、家族が勝手に病院に連れて行っておりました。ケージの中で聞いたこともない声を上げており、家族に「とりあえず部屋を片付けてからあおを出してあげた方がいい」というようなことを言われ急いで掃除機を掛けてあおのところに向かいました。ケージを開けると呼吸をしていないあおの姿。
信じられなくて涙が止まらない、いくら名前を呼んでも戻ってきてくれず…最期に家族に嫌な思いをさせられた上、ケージの中で亡くなってしまった…家族といえど許せない気持ちが湧き上がって来ます。まずはあおをケージから出さないで従った私にも落ち度はありますが。
最期に泣きながら何度も名前を呼んだ声、届いてるかな?あおがいない寂しさで毎日泣いています。あおが幸せであったなら良かった。2歳の誕生日までしか迎えられずごめんね、あおにはたくさんの幸せをもらいました。寂しいです。遺骨キーホルダーに少しだけお骨を入れて持ち歩いています。
最愛のあお、戻ってきてください。愛してるよ。本当にあおに支えられて生きてました。出来ることなら代わりたかった。
うちに来て幸せだったって少しでも思ってくれてたら嬉しいです。あお、絶対にまた会おうね。約束したから。
あおが生まれ変わっても、天国で待ってくれててもどちらでもいいのであおに会いたい、もっと色々出来たことがあったらしてあげたい、大好きなあお。遺骨と残してくれた毛と、亡くなった時に整えた爪とヒゲは全部宝物です。あお…会いたいよ。また一緒にいたい、離れたくない。
明日初七日を迎えます。あお、天国に行ってるかな。あんなに優しくて賢い子が天国に行かないわけはないです。本当に愛してるよ、ありがとうあお。
2023年3月9日朝に、大切な大切なかわいい湘ちゃんが14年9ヶ月で天国へ旅立ちました。
湘ちゃんは、もともと母が2008年から飼っていた猫ちゃんで兄弟猫の海ちゃんとともに保護猫だった彼らを迎え入れていました。
その後私たち夫婦は母と同居することになり、猫ちゃん達とも家族になりました。
猫二匹と人間3人の楽しい生活は、東日本大震災も体験しましたが、その時の不安も一緒に乗り越へ続きました。
ところが母が病気になり他界し、二匹の猫ちゃんと私たち夫婦はその寂しさと悲しさをも共に乗り越えることとなりました。
さらに母が亡くなった半年後にまだ7歳だった海ちゃんが急に体調を崩して、母の後を追うように10日で亡くなり、ショックを受けた私は、遺された湘ちゃんの健康管理を徹底し、毎年健康診断もして、気をつけていました。
けれども3年前に胆管肝炎を発症してしまいました。それ以来治療をずっと継続していました。経済的にも体力的にも、フルタイムの仕事をしている私には大変で、夜遅く帰宅しても自分の食事より、着替えより先に湘ちゃんの投薬とインスリン注射。それから自分の食事をしていたので毎日睡眠不足でした。
3月は特にもっとも仕事で忙しい時期。私の疲れもピークに達していました。なかなか湘ちゃんとゆっくり過ごせない中、お休みの日にはゆっくりまったりしようね、と思っていたら、お休みの日の朝、ゆっくり起きて枕元にいた湘ちゃんに「おはよう」と声をかけ、家族のご飯の準備してくるねと言って、そこを離れて20分後に戻ってきたら、お布団の上で息が止まっていました。
湘ちゃんをゆすって名前を呼んでもぐったりしていて、まだまだ暖かくて、一時的にショック状態なのかと、まだ死んでしまったことが信じられないでいました。
長く闘病していた湘ちゃんの状況から、いつかはこの日が来ると分かっていましたが、状況が掴めないまま、身体だけは動いてホームセンターに棺の代わりの箱を買いに行き、火葬場に電話して。。。。
母からバトンタッチして私が湘ちゃんのお母さんになってからは、我が子のように大事にしてきました。子供がいない私たちには、本当に可愛くて、いつも私たちを笑わせ、母が亡くなった時も、海ちゃんが亡くなった時も、大きな慰めとなってくれました。でも、湘ちゃんまでいなくなってしまって、もう二度と会えないなんて。君の死に直面するのが辛い。慰めてくれる子は、もういない。
亡くなっって2週間がたって思うのは。湘ちゃんは天国に行くタイミングもすごく考えてくれていたのかな、ということ。私のお休みの時で、翌日は夫もお休みだったので、火葬場にもいっしょに行けたこと。私の仕事のイベントがある10日前だったので、まだ少し時間的余裕があったこと。
そして私の宝物は、亡くなる前夜、私が疲れ切った状態でお布団にいてテレビを見ていたら、湘ちゃんがそばに来てじっと私を見つめ、そして私の手にそっと自分の手を置いて、見つめあっていた時間。なのに私はすぐにスマホをダラダラ観てしまい。でも、湘ちゃんはお尻を私の腕にギュウギュウ押し付けてきて、私もギュウギュウ腕を押し付けてピッタリくっついてまったりできた時間です。
湘ちゃん、私たち家族のところに来てくれて、ありがとう。本当に今まで、ありがとう。治療もがんばってくれてありがとう。
2023年1月30日、最愛の猫、みかんが突然旅立ってしまいました。
まだ7歳なのに…
私のことが大好きで、前日も布団で一緒に眠り、早朝、もう1匹のネコが吐く音で一緒に起きました。
後始末の後、私が寝直した少し後、ものすごい勢いで走る音がして、朝なのにうるさい!!
と起き上がって見に行ったら、みかんが倒れて喘ぐような荒い息。
ぐったりして様子がおかしく、夫を大声で呼び、夫はすぐに夜間動物病院に電話。
みかんの息が止まり、私は心臓マッサージをしたものの、病院までは20分以上、10分以内に処置しないと救命は難しいとのことで、そのまま見送りました。
毎日楽しみにして張り切ってた朝と夕の缶詰ごはん、朝ごはんも食べずにいっちゃった…
毎朝私が起きたらみかんは大喜びで甘えて遊び、夫が起きたら早くご飯にしてと騒ぎ、歯が悪いので食後は毎朝歯磨きもして忙しかったのに…
毎日一緒にいて、介護もするつもりで、もっとずっと一緒に生きていくはずのみかんが、元気な7歳で、突然いなくなって、何をしててもみかんを思い出して、楽しい思い出さえ辛くなるなんて…
みかんがいないのに、ちゃんと生きていけるのか、不安しかありません。
時間がたてば、立ち直れるのかな…
昨日の朝大切な、大切プリンが亡くなりました。16歳でした。
大きな病気殆どせず過ごしてきたけど1ヶ月半前から病院通い頑張ってくれました。まだ一緒にいたくて、死んで欲しくなくて通ってたけど嫌だったよね。苦しいの長引かせてしまったかな。ご飯は亡くなる数日前まで食べれてたから苦しくなかったかな。と悩んだり。
歩くのもフラフラし始め、もう1~2日かなと悟りゲージの近くに居させようと普段は母と別室で寝ているが、リビングに布団を持ってきてプリンと2人で過ごした。
何故か寝るのだけは母。大きくなってから初めて一緒に寝たね。夜中も頑張ってトイレに歩いてって、布団まで戻ってきてくれて、離れないでずっと腕に掴まって、顔すりすりしてたね。プリンも分かってたのかな。最後に一緒にいてくれてありがとう。
朝起きてトイレに行こうとしたら、もう目が見えてないのか、キョロキョロしながらフラフラ行ったり来たりして突然倒れました。やはりトイレに行こうとしていたのか失禁してしまい、鳴いていた。ちゃんと自分で行きたかったのかな。悔しかったのな。
母を呼び、タオルにくるみ抱っこして撫でてお話しました。
苦しそうに頑張って息をしようとして、普段一切鳴かないのに鳴き声をあげて。どんどん手の中で呼吸が浅くなって、声をあげなくなり、呼吸が止まりました。
今、最後に鳴いていたのは不安とか苦しかったのか、何か伝えたかったか。色々考えて涙が止まらないですが、明日ちゃんと火葬をして連れて帰って来ようと思います。
気を抜くと直ぐ泣いちゃうけど、ちゃんとプリンが成仏して安心出来るように早く元気になるね。今まで本当にありがとう。大好きだよ。
11月7日、娘と箱根に一泊旅行から帰宅し、玄関を開け2匹の猫の名前を呼びました。
「ただいま、蓮君、空君、いい子してた」
蓮はソファーの上に、抱っこしてヨシヨシ。
空は?何処に?と。
ダイニングチェアーの上に空の足が見え撫でようと…
冷たくなってました。
まだ、5歳でした。
10月にかかりつけ病院で健康診断を受けたばかりでした。
少し心筋症の気はあるけれど、まだ治療までは、と言われ定期的に診察を受ける事に。
冷たくなった空くんを抱きしめ
「ごめんね、ごめんね、
なんで、なんで」
冷たくなった空君を抱いて病院へ。
突然死でした。
それから、今も地獄です。
朝から夜まで、空の事ばかり考え、胸が苦しくて、ただただ涙が溢れてきます。
どうすれば良いのでしょう?
時間が解決してくれる、と思うのですが、まだまだこの地獄は続きそうです。
旅行に行かなければ、死ななかったのでは。自分を責める毎日です。
ごめんね、空くん、愛してるよ。
昨日の夜亡くなりました。
9月中旬にいつも食べているパウチの食べる量が減り、食べなくなり、病院に行くて甲状腺機能亢進症と診断され強制給餌始めたけど見る見るうちに歩けなくなり、他の猫から隠れる場所に行くようになって最後は体は動かしずらくなりながらも首だけは動いてたね。
ほとんど寝たきりになって声に反応するのはしっぽのみ。
前は返事もして寄ってきてくれたのに…早く良くなってってお願いしたけど無理だったね。
頑張ったね…ごめんね
色々、無理させて
怖くて最後抱いてあげられなかった
もうガリガリで
辛かったね
ごめんね
13年間ありがとう
またあえる日まで
ユメへ
ユメちゃんが天国に旅立ってしまってからひと月が経ちました。
そっちの世界には慣れましたか。
他の仲間とは仲良くやっていますか。
こちらはまだ部屋にユメがいるような気がしてベットにどかっと乗っかってくるんじゃないか、風呂に入っていると夢が扉の前で待っているんじゃないかと思って毎日涙がこぼれてしまいます。
ユメの一生は幸せでしたか。
最後の数ヶ月は苦しかったね。今となってはどんな風にしてあげることが一番正しかったかわかりませんが、ユメのことが心配で心配で少しでもいい状態になって欲しかった。パパもママもネネもみんなそう思っていました。
でも残りの14年間は楽しい幸せな時間であったと信じたい。
パパが病気で起きられなかった時に一緒に寝てくれたこと。
一緒に飛行船が飛んでいくのを見たこと。
車のハンドル越しに外を見ていたこと。
風呂に入ってきて手桶の水を美味しそうに飲んでいたこと。
ささみをガツガツ食べていたこと。
トイレに入ってきてタンクの上でグルグル言っていたこと。
椅子に座っていると脇をすり抜けて机に跳び乗って驚いたこと・・・
思い出がありすぎて今でもお前がもういないことが信じられないよ。
会いたいよ、ユメ。
2022年8月に親よりも長く連れ添った愛猫まやちゃんを慢性腎不全、心筋症で亡くしました。
17歳9ヶ月でした。
大学生の頃に出会い、そこからずっと2人暮らしで、何度も何度も引越したのにいつもケロッとしていて、引越ししてもすぐにご飯は食べるし、ほんとに強い子でした。
病院行くとめちゃくちゃ大暴れして、自分でも触れないお転婆娘
でも家ではベタベタに甘えてくるという典型的なツンデレ娘
もう恋人です。
車も好きで、海や富士山に行ったりもしました…
実家に帰省した時には窓が破れて脱走してしまい、何か野生動物に怪我させられて4日くらい行方不明になったこともあります。
慌ててチラシ作って近所を周り、泣きながら探しました。もう仕事辞めて探すと決めた矢先、実家のビーグル犬がまやを見つけてくれて助かりました。
翌年実家に帰った時には、大の大人が泣きながら猫探してたって近所で有名人になってたことは今では笑い話です。
自分が現役の臨床獣医師であるにもかかわらず、慢性腎不全のステージがもう少し軽い段階で気づいてあげれなかったことが後悔でなりません、自分の愛猫は大丈夫だという根拠のない自信があり、少しの変化を見逃してしまいました。
腎臓処方食を食べさせていたので、そこまで大きく結果が変わったかわかりませんが、せめて誕生日の11月26日までは頑張れたのかなと思います。
最後に腎不全治療薬AIMの早期実現に期待したいです。
今年の3月8日にノルウェージャンののるが急に逝ってしまいました
8歳になる直前でした
去年夏から糖尿病の治療で入院もしたし毎日インシュリンを自宅で打ちました
食事も一度にあげて血糖値が高くなったらいけないので少しずつあげました
7ヶ月一緒に頑張りましたが3月7日にまた様子がおかしいので病院に連れて行きました
血糖値がとても下がっていて点滴をして一緒に帰りました
食欲があまりないようだったので寝る前におやつにあげていた焼きカツオをあげるとすごい勢いで食べたので明日の朝には元気になっているだろうと安心していたのに…
明け方部屋を覗くと意識はなく足を痙攣させていました
どうして?一生懸命主人と声をかけ撫で続けスポイドで水を口に運んだり砂糖水をあげたりしましたが大きいあくびをしたと思ったら息が止まってしまいました
子供がいなかったので可愛がりました
主人が入院している間一緒に朝焼けも見たし、お月見もしました
バルコニーの花が咲いたら花の匂いを一緒に嗅ぎました
季節の飾り付けをしていたら必ずそばで箱の中を覗いて様子を見ていました
私が治療のため札幌に行っていたときは主人が見舞いに来た時も一人でちゃんと5日間もお留守番していました
主人が出かける時寂しそうにしていたそうです
小さい時から病院が怖くて大暴れだったので健康診断もさけていましたが無理にでも診てもらえるところを探せば良かった
血糖値が上がるからって少しずつしかごはんをあげなかったけど
こんなことならお腹いっぱいごはんを食べさせてあげれば良かった
うちでは本当にいい子だった
のるにごめんなさいばかりです
ペットは飼い主を悲しませるために生まれてきたのではないと言う言葉を見てまた涙が溢れます
のるは天国でお友達と仲良く暮らしているでしようか
2022年8月2日に愛猫ペータが遂に天国へ旅立ちました。
若い時から、AIDS陽性、白血病陽性、腎不全、膵炎と言われ、歯肉炎になり自分の前足で歯をみんな引っこ抜いてしまい、それでも17年間生きて、最期も不思議なほど安らかで、心音が止まってからも死後硬直が始まらず、いつ亡くなったかわからない、死なない猫でした。
死なないのではなく、死ねなかったのだと思います。
私たち夫婦には子供ができず、17年間、ペータが我が子でした。
私の気持ちを察して、どんなにガリガリになっても必死に生きようとしてくれているようでした。
私も心の中で、私が諦めないとペータは死ぬことができないと思っていましたが、ガリガリの姿を見て、辛そうでも、治療や、嫌そうな薬をやめられず、延命治療になってしまっていました。
周りからは、本当ならもうとっくに死んでるね、といつも言われていましたが、ペータがいなくなるなんてとても耐えられないと思っていました。
それでもその日はやって来ました。
仕方がないとわかっていても、私を置いてきぼりにして、なんて親不孝なの、と怒りが湧いてきたかと思うと、私のためにあんなに頑張って生きてくれた、死ぬに死ねなかったよね、ごめんね。と思ったり。
死なないでと言い続けてしまった私が、やっと、早く楽になって!もう行っていいから、早く。と心から思えた時、それを待ってくれていたように安らかに旅立ちました。
私の気持ちが納得できるまで待たせてごめんね。
本当によく生きてくれました。
みんなビックリするほど頑張ってましたから、天国で会ったら、神様からペータを表彰してもらおうね。
「人のために最後の最後まで死ななかった猫で賞!」
まだまだ泣き暮らしているだめなママだけど、ペータの願いは、私が悲しまないことだから、ペータがそのために最期まで頑張ってくれたんだから、涙を流してしまっても、悲しまないから、大丈夫たがら。
私たちのところに来てくれて、ありがとう。
3月に猫を亡くしました。
かなり痩せてきていたので、病院に連れて行ったら慢性腎臓病と言われ三月中亡くなってしまうと言われました。
でも5日から1週間入院すれば、2ヶ月から3か月余命が伸びるといわれ、即入院させました。
それが、最悪の結果になるとは思いもしませんでした。
面会に行くと手を付けられないほど暴れたので鎮静剤を打って点滴をしてるとのことでした。
今考えると、おとなしくて臆病な猫には、耐えがたい苦痛だったと思います。
その時、治療を中断してれば、退院後すぐ亡くなることもなかったかもしれないと思うと、自分の無知さと、獣医師の対応に怒りをおぼえ、自責の念に堪えません。
安易に選択するべきではないと思うと同時に拷問のような治療をさせて申し訳なかったと思う。
最後は自然に死を迎えさせてあげたかった。
六日前に、スコティッシュの男の子ミルキー、14歳が突然亡くなりました。
膵臓炎と言われ、少しずつ良くなってきてましたが、突然うーと、唸り出して、虎の子みたいに吠えたり、今まで聞いた事がないような様子で、本当にびっくりしました。
すぐに、病院の予約をとり、病院へ行きました。
私は、痛み止めを打っていただけたら?と思ってましたが、先生が、「瞳孔が開いてる」て言われ、本当に驚き衝撃的でした。先生は、「いろいろ検査できますが、検査中に亡くなるかもしれない?どうするか決めていただきたい」とおっしゃり、結局主人が、「血液検査と、痛み止めをお願いしたい」と、言ってくれました。
会計を待ってる間、待合室にいたら、先生が、「ミルキーの手が冷たくなってきてるから」と、ホットヒーターを持って来てくれました。
先生は人格者で、本当に良い先生でした。この先生が良いからと、教えてくれた友達達に本当に感謝です。
それから、待合室で私は泣けて泣けて、鼻水もでてくるし、ティッシュがなくて、そうしたら、周りの方達が、ティッシュを差し出してくださり、またその優しさに泣けて。
本当に辛かったです。
帰宅して、ミルキーは1日がんばり、翌日の夕方亡くなりました。うちは子供がいないので、ミルキーは子供のような存在で、手を繋いで夜寝ていたし、本当に可愛く賢い子でした。
主人とそれから、泣いてばかりいました。まだまだミルキーを探してしまう毎日ですが、うちは次の子を考えています。
できたら、ミルキーに似た可愛い子をみつけられたら?と、思います。
ミルキー、君が家族になってくれて、私は幸せでした。どうも有難うね。
お迎えして数日で猫ちゃんが虹の橋を渡ってしまいました。
運命の子と感じ数ヶ月かけてお迎えし、お迎えしてからの6日間仕事を辞める都合もあり、ほぼ毎日一緒にいました。
しかし、6日目の朝いつものようにご飯を食べ、ブラッシングをし、一緒にお部屋の散歩をしていると急に倒れて痙攣しだしました。
心臓マッサージ、人工呼吸をし緊急で病院に行きましたが残念ながら戻ってくる事はありませんでした。生後5ヶ月、お迎えしてから6日目であまりにも早すぎるお別れに驚きと共に悲しい気持ちでいっぱいです。
先生には心臓病だったんじゃないか、または心臓が元々弱い子だったのでは、と言われました。しかし、とても信頼できるブリーダーさんから頂いた子でしたので、腑に落ちない部分もあり本当に悲しみと後悔でいっぱいです。
いつかお別れはくるのは覚悟していましたが、まさかこんな早く…。お迎えから約1週間経過した事もあり、猫ちゃんも私達夫婦も慣れてきてこれから、という時に。
お迎えされた猫ちゃんは幸せだったのか、元々虹の橋を渡ってしまった日に病院に連れて行く予定(健康診断)だったので、もっと早くに連れていけば助けられたのではないか、遺伝病だったのか…等、突然過ぎるお別れに後悔や悲しさばかりが出てきます。
その日のうちに火葬を済ませ、夫は遺骨カプセルを私はネックレスを頼みました。たった1週間ほどでしたが、私達には大切な家族でした。
とても辛すぎるのと、突然過ぎて怖いのとで暫くペットをお迎えするのは控えようと思います。
2022.4.27 11時頃
ばぐちゃんは亡くなりました。
25日頃から、冷たい床でぐったりしていました。
次の日には悪化し、体温は低くなっており
水を飲みに行く時歩くのもフラフラでした。
すぐ病院に連れていこうとしたのですが
嘔吐をしてしまい、おしっこを漏らしました。
病院に連れていき、検査をして頂いたら
糖尿病でした。
その日から、病院に預けてインスリンの量を決めます
と言われ、入院でした。
病院にいたので安心しました。
しかし、その次の日に
お見舞いに行こうとしたら
病院から電話がかかってきて、亡くなりましたと告げられて涙が止まりませんでした。
まだ9歳でした。
もう少し早く病院に行ってれば、生きてる間に会えたのかな
最期、看取れなくて本当に後悔してます。
綺麗な顔で亡くなっており、話しかけたら起き上がるんじゃないかと思うぐらいです。
虹の橋が本当にあるなら、
私が死んだ時に会いたいです。
会ってまた沢山可愛がりたいです。
大好きだよと伝えたいです。
苦しかったよね気づいてあげれなくてごめんね
我が家に来てくれてありがとう。
また会おうね。おやすみなさい。
愛猫の雄猫ちゃぷたんが21才の長寿を全うし亡くなりました。
私の母が私に内緒で押し入れの中で飼い始めたのが始まりです。
物心ついた頃から何匹も犬や猫を飼ってきましたが、これほど私に懐いてくれた猫は居ませんでした。
1月の半ばに体調を崩し動物病院での治療が始まりましたが、1ヶ月で私の貯金も尽き、自宅で私が点滴を打つことになり2ヶ月程度頑張りましたが、私が体調を崩し入院してしまったため、1週間以上点滴を打ってあげることが出来ず、退院して自宅に戻った時には手遅れ状態になってしまいました。
寿命とはいえ21年です。
私の人生の半分近くを共にした相棒がこうもあっさり亡くなるとは・・・。
亡くなって日も浅いことから未だに現実を受け入れられないです。
私の人生でこんなに愛した猫は居ません。
そしてこんなに私を愛してくれた猫もいません。
もう一度逢いたい・・・。
トロが亡くなってから1週間経ちました。
いつも通りおはようの挨拶をして、その日はバタバタしていて顔を合わせて「行ってきます」ができませんでした。仕事から帰ってきたらほんのり温かいけど動かなくなったトロがいました。
たったの1歳半。突然のことで、どうして亡くなったのか、トロの遺骨を入れたカプセルを見ても何の現実感も無く、何一つ呑み込めないままでいます。
何かの病気なら兆候があったんじゃないか、もっと見てあげていたら、一人で苦しんだの?苦しみは一瞬だったのかな?最期を看取れなくてごめん。今はまだ、たくさんの後悔でいっぱいです。
朝顔を洗う時に挨拶をして、夜は布団に入ってきて喉を鳴らし、まだ小さい子どものことは警戒しつつも一緒に寝てくれて、おもちゃ箱を漁ってはネズミのおもちゃを持ち出し、部屋を閉め切るとウニャンと鳴いて隙間から白い足を覗かせて、その時間の一つ一つが本当に幸せで、未だにそこら辺にトロがいるのではないかと、影を追ってしまいます。
きっと本人が一番驚いてるよね。もっと遊びたかったよね、おやつもいっぱい食べたかったよね、たくさん甘えたかったよね。
トロが亡くなってしまったことを受け入れるのは難しいし、トロがいないことに慣れるのにも時間が掛かると思います。
でも、トロが生きたことを忘れません。
大好きでした。幸せでした。たくさんの愛をありがとう。
2022年2月2日、愛猫のベジが虹の橋に行きました。
15年半頑張ってくれました。
上司の猫ちゃんが赤ちゃんが産まれ、その一匹を頂きました。
とても甘えん坊で平和主義?でもやんちゃ、よく食べるコでした。
子供たち二人は成人になりましたが小学生の頃からの成長を見てくれました。
昨年の10月、胃がんとわかり、大切な親友に相談し、ベジの残された人生を全うさせよう…意外にドライブ好きだったのね、病院もイヤイヤしなかったね、お泊まりもしたね、雰囲気のいいカフェのお姉さんたちに可愛がられたね!親友よ、たくさん写真取ってくれてありがとう。
でもでも、今年になって食べなくなりました、シリンジでしかゴハンも食べられなくなりました、でも頑張ってお薬口にしてくれ、亡くなる前日歩けなくなったけど一生懸命トイレまで行ったね。
亡くなった当日、年齢もあり、頭ではわかっていても家族で泣き崩れました。
2週間経ちましたが、写真や動画を見ると思い出しては泣いてしまいます。
虹の橋でたくさん食べてるかな?お友達とも遊んでるかな?パパやママと一緒かな…飼い主もゆっくり心を前向きに生きていきたいです。
出会いは突然でした。去年5月、ふと初めて立ち寄った保護猫カフェにみっちゃんはデビューした所でした。
初対面から腹這いで甘えてくれて、猫初体験の私は完全に恋に落ちました。
しかし、私は独り暮らし、賃貸、そして初心者、通うことで満足しようと思いましたが、日を追うごとに、私みたいな中年なんかでも猫ちゃんを幸せに出来るだろうかと、カフェのお姉さんに相談もしながら、賃貸ペット可を探しました。
最初決まりかけた時、急に大家は猫不可を出してきて、家賃もひどい引き上げの交渉になり、一度断念、探し直すことに。その一週間後、みっちゃんの息があらく、店のオーナーさんと一緒に病院へ。リンパ腫でした。
まだ一年しか生きてないのに。相談の上、抗がん剤な治療が始まりました。
2ヶ月後寛解と言われ、賃貸も見つかり、引き取りました。その日は本当に幸せでした。
しかし、翌日異変が。しっぽが垂れ、足を引きずり、即病院へ。
脊髄の転移の可能性あり。リンパ腫も再発してると。そして同時に食べれなくなり、辛い強制給餌に。しかし、進行が早く毎日病院に連れて行きましたが、私が、友達に任せて5分だけ、ペットシーツを買いに行ってる間に、スーっと息を引き取りました。
5分家を離れただけの時に。何故、こんな辛い別れ方があるのなと、3週間たっても、涙が止まりません。
ようやく一緒に暮らせたのに。
一週間しか、お母さん出来なかった。待たせてごめんね。みっちゃん本当に我が家に来てくれてありがとう。
先日、12歳9ヶ月の愛猫が永眠しました。
藤ダンスの上でまったりしていたのですが、突然40~50センチ飛び上がって落下しました。慌てて抱上げたのですが、もう息をしていませんでした(..)。
余りにも急な出来事でホームズ(猫の名前)自身何があったのかわからなかったみたいです。大きく瞳を見開いた状態でした。
昨年引っ越ししてから徐々に痩せてきて一時は2.7キロまで痩せてましたがやっと3.3キロまで戻りましたが、首回りが痩せ細り、首輪がブカブカでした。
以前は5.0キロ有り「まん丸いお顔の男の子」って呼んでました。
引っ越しがストレスだったのかなぁ?前日は後輩猫と走り回っていて、なかなかケージに入ってくれず、ベッド下に潜りこんでいたかと思うと、スッと箪笥の上に上がって回りを見回してカーテンレールの上に飛び上がろうとするので、ケージに入れようとすると激怒で噛みつかれました。いつもと様子が違ってました。
辛いです悲しいです。藤ダンスにいた時、ベッドに入れていたら、落下しなかったのではと、後悔ばかりです。
それと家庭の都合で、合同葬祭しかできなくて、愛猫の遺骨が手元にありません。
どうして遺骨を手元に置かなかったのか!それも後悔で、毎日泣くばかりです。
私のように遺骨が手元にないよという方、いらっしゃいますか?
お話、お聞きしたいです。
人其々だと思いますが、遺骨がないメリットとデメリットを教えていただけませんか?
懺悔の日々です。
ホーニャン(ニックネーム)逢いたいヨ~。
ママの所に帰って来て!眠れない、食事がとれない、何もできなくて・・家の猫になってくれて、ありがとう!ホーニャン大好きだよ!
一週間前に大切な大切な黒猫のぴーちゃんを亡くしました。
それはあまりに突然の別れでした。
我が家に来て6年しか生きていないのに・・・。
その日の朝までは全くいつもと変わらなかったのに。
夜は私の横に来ていつも「ぴーちゃんいい子ねーねんねんよー。」となでてあげながら・・・。
朝も台所に立つ私を構ってほしそうに見つめるので思わず手を止めて
「おいで」というと一目散に尻尾を立てて駆け寄ってきて甘えるぴーちゃん。
名前呼んだらニャーと返事するぴーちゃん。
仕事に行くねと声をかけて夜帰宅したら冷たくなっているなんて・・・。
何があったの? いったいどうしたというの? なぜなぜ?と抱きしめても・・・。
少しの乱れもなく眠ってる顔で天に召されてゆきました。
家中のどこをとっても想い出にあふれ涙もあふれ心のやり場がありません。
家中にぴーちゃんの写真を飾りましょうか。
いつかは私たち夫婦に幸せをたくさん与えてくれた日々を懐かしむことができるのでしょうか・・・。
会いたいよ、会いたいよぴーちゃん。
仕事をやめたこともあり、2月頃、ペットショップで可愛い子猫を見て一目惚れして飼い始めました。
6ヶ月のオス猫でした。抱こうとすると逃げるのですが、知らんぷりすると、甘えてくる。ツンデレというのはこういう事かと。
初めて飼う猫の可愛さに驚きました。階段に向かうと追い越して駆け上がり階段の上で待っている。可愛い思い出しかないです。
6月半ばに突然、調子が変だと感じ、軽い気持ちで動物病院に行きました。するとすぐ検査入院と言われて、脳炎、脊髄炎が広がり治りません。一才前という事でFIPの疑いと言われました。そして、もしFIPなら、もって3ヶ月。
まだ死んでないのに、ペットロスというか目の前が真っ暗になりました。
でも泣いてる場合ではないと自宅看護に集中しました。
後ろ足から硬直し始め前足でヨチヨチしてました。猫トイレも部屋もバリアフリーで、和室で一緒に寝起きしました。
そのうち行動範囲も狭まり、ペットシーツに垂れ流しになりました。最初は薬と餌の矯正給餌をしていましたが、それも食べなくなり、好きな餌に頼りました。
痙攣発作を起こした時は死ぬと思い、号泣して抱きしめました。
そんな事が繰り返されたのですが、いざ死ぬ時は私が寝てる間に静かにサヨナラしてくれました。起きたら亡くなってて茫然としました。闘病は2ヶ月半でした。
春風のようにやってきて、夏の嵐のような日々を送り去って行きました。たった7ヶ月だったのですが濃密な毎日だったので、まだ気持ちが整理できません。
駐車場で衰弱している野良猫を保護しました。正確には車の所有者が直で動物病院に、帰宅のアパート前で家族の許可とれず連れて帰れないところに私が声をかけた事が野良猫と私の出会いでした。
1人暮らしの私にとって憧れの猫との生活。まさか1ケ月の短い生活だったとは思いもよりませんでした。
台風後衰弱、発熱し、点滴して熱下がり3日で回復。が突然1日後に猫エイズ発症。高熱なかなかさがらずに8月27日金曜日夜中動物病院にて他界しました。
27日この日のお昼、2回めワクチン接種翌翌日に面会。人生忘れもしない日になりました。野良猫保護してたった1ケ月の出来事でした。
2008年に キジトラのるる 生まれました!!
約13年病気もなく
過ごして来ました
自分が高校卒業後独り暮らしを、はじめ
そのときに18~26歳まで一緒に過ごしてきました!
2021年の5月の後半辺りから
ドライフードを食べても吐くようになり
自分は病気ってことをその時点で
わからなくそのまま過ごしてて
あるとき従兄弟が御風呂で洗ってたら
急に痩せてたってことをしり
7月9日に、病院で血液検査といろいろやったら
検査結果が貧血と膵炎でした
症状がまだ、軽いときに行けば治るはずでしたが
なかなか病院につれていくことができずに
もっと早くに気づいてれば
亡くなることがなかったのにと
思いましたすごく、後悔してます。
病院に行ってから7日後(15日)の
15時半に息を引き取りました...
すごく、悲しくて寂しいです
今日の午前11時に棺に入れられて
火葬しました、
今でも涙でてすごく、後悔してます。
また、会いたいです。
6月29日朝8時52分動物病院にて8歳のクロ猫、見たままのクロが亡くなりました。
前日の夜から腹式呼吸をしだしたため29日朝病院に連れて行く事に。マンション暮らしで去勢手術以外一歩も外出はさせていませんでした。洗濯ネットに入れリュックにいれて自転車で10分の動物病院へ。9時からでしたが私の緊急事態をさっしたのか早い時間から診てもらう事に。
僅か2分後に先生からもしかしたら息を引き取るかも知れませんと?何を言ってるのだろうか?と言うのがその時の感想。
さらに5分後、先生から高酸素カプセルに入ってます。出来る限りの事は行いますが、、、。中に入りストレッチャーの上に横たわるクロの姿。
まるでドリフのコントの様に膝から崩れ落ちで号泣。胸水で呼吸が苦しい中、知らない場所による恐怖心からか、懸命な蘇生にも関わらず戻って来なかったそうです。
正直言うと熱中症で点滴打てば夜には元気になるよな?その程度しか考えてませんでした。
愚かですよね?最愛のクロのサインを軽く見てしまうなんて。
最低の飼い主だよな?綺麗に整えて貰い、化粧箱に入れて貰って手に抱えて帰宅しました。
生前9キロ近く体重あったので重さで何度も降ろしては抱えて、その度に大粒の涙を流して泣きわめいてる54歳。
大勢の人が振り返る中家に入るなり又号泣。今は後悔しかありません、
でも何時かはクロが許してくれると信じてクロの分も長生きして行きたい。心から愛していたし、これからもずっと心の中で繋がっていたい。ありがとう
子どもの頃から犬や猫が大好きでした。
初めてペットロスになったのはうちに来たオスの子犬が、別のおうちに行き代わりにきょうだいのメスの子犬が来たときです。最初のオスの子犬は数週間いました。とてもなついてくれたので別れ難かったです。代わりにきょうだいのメス犬が来ましたが、性格がややきつく懐くのに時間がかかりました。
猫もずっと飼っていました。ペットロスというのは人間サイドの勝手な言い分で、ペット側にも飼い主ロスがあると思います。
ここ20年間で3匹の猫を飼うことができました。
今は3匹目、三代目ということになります。三代目と言っても3頭間に血縁関係はありません。
ここ20年間で二度ペットロスを経験したわけですが、一頭飼いはペットロスが酷くなるということを知りました。しかし、出会いは別れの始まりです。出来る限りいっしょに過ごせる時間を長く楽しくすることが大切なことだと思うようにしました。ペットにとってもよい飼い主になれる努力は大切です。
高齢で病気がわかった時、穏やかな日々を過ごしてくれるよう祈りました。
ペットロスになった時は耳鼻科さんで点滴していただいたり心療内科さんで、お薬を処方していただきました。ペットを飼っていることであきらめていたことなど、たとえば旅行などを計画しましたが、私自身も旅行好きではないので、猫カフェ巡りなどをして過ごしました。
偶然、ペットショップさんに二代目によく似た猫がいました。
性格がひょうきんそうな感じでペットロスを癒してくれそうでした。無事三代目となっていただけました。性格がひょうきんだけでなく飼い主大好き猫さんでしたので、ありがたかったです。
ペットを可愛がるとこんなにも良い縁に恵まれるのかと感謝しています。
これからもペットの将来、飼い主の先々のことなど考えながらペットの幸福を願いたいです。
ある年の台風の中びしょ濡れで鳴いている子猫を、母が拾ってきました。両目が飛び出していて、獣医に連れて行ってももう今晩ももたないだろう……と。
ところが両目の視力は無くしたもののみるみる元気になり、その後23年も長生きする事に。
私が結婚した時に、猫好きの夫と彼女(名前は、ぷり子といいました)を引き取り三人で暮らしていました。我が家に娘も産まれ、ぷりは子育てにも参加してくれ、いいお姉さんだったと思います。
21年目からぷりは体調を崩す事が多くなり、頻繁に近所の獣医へ行っていました。幼児を抱えての老猫の通院、きつかったです。翌年はさらに弱り、だんだんと不眠不休の介護へ……イヤイヤ期の娘を抱えて、文字通り地獄の日々でした。
最後に迫られた、自宅で補水の点滴をするかという問題。私は断り、自然に任せました。
ある朝夫が「もうダメかもしれない、娘も保育園を休ませて今日はいてやれ」と声をかけてきました。その夕方、私の横で眠るように旅立ちました。
私達家族は、ぷりに命を見せてもらいました。
先日11年一緒に暮したにゃん太郎を突然亡くしました。
11年前家の近くに捨てられていたにゃん太郎を保護し育てることになりました。いつも元気で甘えたのにゃん太郎はかけがえのない存在でした。いつものように朝ご飯を食べて玄関先のポーチに5分ぐらいでて外の、空気を感じるのがにゃん太郎の毎日でした。
その日も5分ぐらいしたら私が玄関に迎えに行ったら倒れ苦しそうな息をしているにゃん太郎を見つけ抱き上げましたが、数回声を上げたあと息をひきとりました。あまりの急な事ではじめは涙も出なかったですが、時間が経つにつれ涙が止まらなくなりました。
その日に火葬してもらいました。しばらくしてから家の庭に埋葬しようと思っています。
今も涙が止まりません。でもにゃん太郎には今までたくさんの、楽しい思い出をありがとうと言いたいです。
私は立ち直るのはもう少し時間がかかると思いますがにゃん太郎との楽しい生活を思い出し頑張っていこうと思います。
2019年10月29日に扉前にガリガリの黒猫が現れました。地域猫が沢山いるこの辺りでは見たこともない痩せ具合にビックリしました。きっと、他の子たちみたいにムッチリしてたら家に入れなかったでしょう。さくらねこで、既にくろと呼んでる方々がおりましたので、皆んなに相談しつつ自分の家で引き取ると決め病院へ連れて行きました。エイズ、猫コロナのキャリアで白血球の数値が異常すぎると診断。更に腹水があるかもとのことでもって1~2週間の命と…看取る覚悟をし、今までは外と家の行ききをさせてましたが完全家の中へ。玄関から動かないので寝る時は側で寝ていました。それがいつしか全部の部屋を制覇し、お気に入りの場所を沢山見つけ気づいたら1年過ぎていました。ご飯の準備をしてると必ず後ろで待機し、食べる時は一緒でした。朝はセットしてる時間より早めに起こしに来るんです。顔をスリスリ、手でチョンチョン。最近は鼻を噛まれてましたがどれもとても愛おしく幸せな毎日の始まりでした。
持ってるものが最悪ですが発症せずうまく付き合っており、数年いけるかなと思い始めた矢先、急にご飯の食べる量が少なくなり…元に戻ってきたけどガリガリな身体が更に痩せてきたようで…起こしに来てたのが来れなくなり、家の何時ものトイレの場所にも行けなくなってしまいました。
病院へ連れて行ってもただの延命ならと考えておりましたので家で出来る限りのことをして看取ると2回目の覚悟を決めたその2日後の1月10日に死んでしまいました。声も出さず意識朦朧としてるはずやのに急に顔を上げて私の眼、父の眼をそれぞれ見て意識をなくしそれから直ぐでした。
毎日側にいたくろがいなくなりどうしたらいいのか…本当に辛いけど、私達の所に来てくれてありがとう。幸せを沢山ありがとうの気持ちがいっぱいでまだ涙が止まりません。
会いたいよ。
12月9日に4才で亡くなりました。尿管結石、水腎症、腎不全、尿毒症でした。
今年の7月より食欲が落ちて、毛がボサボサになり病院に行くと4つも尿管結石がみつかりました。
手術は成功率が低く20%。費用は60万。
セカンドオピニオン、電話問い合わせ、同じ病気の猫ちゃんのブログなど、自分なりに色々調べ、悩んで悩んで出した結論は、内科療法でした。
痛い思いさせて、結局助からない結果になったり、成功したとしても、再発しやすいので再手術になりやすい、バイパス手術だと、その後ずっとメンテナンスが必要で通院や、費用の問題。
たくさん先生ともお話もさせてもらい、内科療法にかけて、もしその時がきたら看取ります、といいました。
本当にその時が来てしまった今は、後悔と懺悔でいっぱいで、いったい何が正解だったのか、今でもわからないままです。
どんな治療を選んだとしても、きっと今と同じ気持ちになるんだとは頭で分かっているのですが。
もし私が専業主婦で、お金持ちで通院の時間もあって、なら、日本のその手術の名医の先生の所に連れて行って助かる命だったのか、そう出来なかった私が殺してしまったのか、と。
ただ1つ、後悔がないのは家族で看取れたこと。
お別れの時間をたくさんくれた事。
飲まず食わずになってから点滴だけで1週間頑張ってくれて、ずっと一緒に過ごせました。たくさんたくさん話しかけて撫でて、感謝の言葉をかけました。
だけど、もっと、もっと一緒に過ごしたかった。
子供たちがいつか自立して、時々実家に帰る時に一緒に出迎えて欲しかった。悲しくて、寂しくて、身体がもぎ取られたように痛くて辛いです。
まだまだ、立ち直るには時間がかかりそうです。
9月9日、愛猫ルーチェが18歳6か月で天国へ旅立ちました。18年前、仕事帰りに歩道にいたのを保護しました子で、両目が不自由にもかかわらず、私の体調が悪いときは枕元で寄り添うなど、とても健気で可愛らしい子でした。
亡くなる1週間まえからご飯も水も自力で摂取しなくなり、徐々に衰弱。動物病院で皮下補液を受けた直後は、少々持ち直すも、翌日には再びぐったりするといった具合だったので、9月8日の夜、持続点滴のために入院、翌日の昼過ぎに息を引き取りました。
私は仕事のため、看とれませんでしたが、動物病院の先生方が代わりについてくださったので、寂しい思いをさせずに済んだと自負しています。遺体と対面したときもまるで眠っているように安らかでした。葬儀の日まで3日間、自宅で過ごしましたがルーチェは「ママ、泣かないで。私は幸せだったよ」と語っているようでした。
「ルーチェは精一杯生き、天寿を全うした」そう自分に言い聞かせているものの、18年も連れ添った子がいなくなり、心に穴があいたようです。
7/7の七夕の日、愛猫を亡くしました。まだ、2歳5ヶ月、オスの茶トラでした。
この日の朝、自宅の玄関で排泄をし汚したことに対して、叱りつけて会社に行きました。
早く帰宅しようと思えば出来たのに、ちょっと、お仕置きのつもりで、いつもより、1時間位遅く帰宅しました。
猫は、キャットタワーの上で丸くなって眠るように亡くなっていました。
結局、死因もわからぬままです。
突然の早いお別れでした。
最後に、ケンカ別れの様な形となり、早く帰っていれば、異変に気づいてあげられたのではないか、病院に連れて行っていたら、元気で居てくれたのではないか、一人ぼっちで逝かせずに済んだのではないかと毎日、後悔の涙が止まりません。
周りの人たちからは、いつまでも、悲しんでいては天国に行けないと言われます。
新しい仔を飼ったらとも言われますが、まだまだ、そんな気になりません。
大雨の降る日、家の前でうずくまっていたのを保護しました。
逝ってしまった日も大雨の日でした。
いつかは、やってくる別れの時ですが、時間が戻せるなら戻して謝りたいです。
そして、短い間でも、我が家に来てくれてありがとうと言いたいです。
もしも、猫になって生まれ変わったら、また、我が家の仔になって欲しいと思います。次は、叱りつけたりしないから。
2020年7月5日に愛猫のサスケがベランダから落ちて死にました。
俺の不注意です。。
まだ1歳の男の子でした。。何故ベランダの窓をちゃんと閉めなかったのか後悔しかありません。
サスケが死んだショック、悲しみ、自分への怒り、喪失感、などに打ちのめされて毎日泣いています。
この苦しみから逃れられたくてペットロス関連のサイトを片っ端から読んだりもしてみました。出来る事はしてあげようと思ったので、お寺に火葬をお願いし、人間と同じ様にお葬式をしてもらいサスケの骨も受け取り、お寺が出してきたペットとの別れの心構えも読みました。
頭では分かっています。。俺が泣いてばかりじゃサスケも安心して天国に行けないって。。
でもどうしても辛い。。いつも家に帰ったら出迎えてくれるサスケ、トイレに行くたびに足にすり寄ってくるサスケ、俺の両腕を傷だらけにしたワンパクなサスケ、寝る時はお気に入りの毛布をフミフミした後で一緒に寝てくれるサスケ、撫でて欲しい時に頭を擦りつけてくるサスケ、辛い時に慰めてくれるサスケはもういないから、、、
サスケ、、部屋に落ちている君が残した抜け毛の塊りもまだ掃除出来ないよ、、君がいないとダメだ、、サスケにもう会えないのがただ悲しくて、、悲しくて、、、。
弟が新しい子を飼うのはどうか提案して来たけどそんな気にもなれない。もうこんな思いをするのは耐えられない。
だけど先月離婚した後に君までいなくなって、家に帰って味わうなんとも言い難い空虚感。。気がおかしくなりそうになる。これはペットロスで鬱になる人の気持ちが分かるよ。
俺はいずれ君に代わる子を探すと思う。。もう少し傷が癒えた後で。
君の事は忘れないよ。。毎日が幸せだったよね?俺は幸せだった。一年とちょっとって言う短い期間だったけど俺の人生の掛け替えの無い期間だった。
愛してる。俺の可愛い息子。素敵な思い出をありがとう。
まろ(猫)を15歳で亡くしました。
数年前から甲状腺機能亢進症を患い、その薬を飲んでいた影響か腎機能も悪化してきていました。
もともと食が細かったですが、2020年6月に入り2日ほど食べないようになり受診、腎機能がさらに悪化しており食欲が落ちているんだろうと言われました。
自宅で点滴を行い様子を見ることになったのですが、正直かなりきびしいだろうなと感じていました。
点滴の効果あってか、ご飯を食べるようになって安心していたのですが、また食べなくなり、仕事から帰ってきたら横たわっているまろを発見、明らかに息の仕方がおかしく今にもといった状況でした。
電話で動物病院に連絡しましたが、「その状態でしてあげられることはない」と。
今にもな呼吸の仕方をしていましたが、時折しんどさのためか起き上がり、歩いていました。
まだもうしばらくはもつかとおもってしまい、少し仮眠をとっている間になくなってしまいました。ほんの10分ぐらいの間に。
抱っこ、お膝の上がすきだったまろ。なんで、最後抱っこしてあげなかったのか、私が仕事から帰るのを待ってくれていたのに、なんで仮眠とってしまったのか、後悔でいっぱいです。
15歳なので持病もあり、なくなる事は仕方なかったのかも知れませんが、最後をきちんと看取ってあげれなかったことにすごく後悔しています。まろのことは後悔ばかりですが、他の猫ちゃん達にはせめて後悔しないよう接していきたいとおもいます。
大好きだったクリが亡くなって間もなく1年。ナナが亡くなって1年8か月になろうとしている4月半ばに不思議な出会いがあった。コロナで大学の寮から戻ってきた次女のところへ同級生から生後間もない子猫が庭に捨てられているので助けてほしいというテキストが入った。娘が連れてきた子猫を見て驚いた。顔がクリにそっくりで、ピンク色の大きな鼻はナナそっくりの雄猫ではないか。生まれ変わりとは思わないけれど、2匹が相談して天国から私の少し早い母の日のギフトを贈ってくれたのだろうか。コロナで次女や彼女の友人が自宅に戻ってこなければ出会えなかったであろう子猫。天から舞い降りてきたようなその子にクマちゃんと名づけた。小さなクマちゃんの存在ひとつで久々に家の中が明るくなり何をやっても楽しくウキウキと心が弾む。
2匹を立て続けに失った直後は、胸を締め付けられるような深い喪失感に襲われ、泣くまいと思ってもいったん発作のようなものに襲われると自分の意思では涙を止めることができなかった。枯れるほど涙を流した後は割れるような頭の痛みに襲われて頭痛薬を手放せなかった。
ツツジの木の下に佇む2匹がいない。ソファーの上に寝そべる2匹がいない。夜、毛布の中に触れるぬくもりは、お日様の匂いのするふさふさの毛も、耳元で聞こえるゴロゴロもない。あるべきところにあるべき2匹がいないことは何と哀しい空間だろう。本当は何もしたくないし、誰とも会わずに一人になれたらいいのに。
けれど半年過ぎたころ、悲しいことには変わりないが、あんなにかわいい2匹と至福の時を過ごせた自分は何と幸せ者だったのだろうと感謝の想いに変わっていた。時が癒してくれるというのは本当だ。思いっきり悲しんだ半年間は自分に必要な時間だったのだ。
去年の5月21日は、クリが生まれ育った我が家を見納めした悲しい日だというのに空には雲一つない五月晴れだった。2020年今年の5月21日も同じような青空。夕方には2匹の思い出がいたるところに息づいている裏庭の空を夕焼けが真っ赤に染めた。その下には今クマちゃんがいる。クリとナナの側に早くいきたいと思ったけれど、2匹からクマちゃんを託された今、まだまだ長生きしないとなあ。ありがとうクリ。ありがとうナナ。
私たちにてんこ盛りの楽しかった思い出を残し、クマちゃんまで与えてくれて。
6月で12歳を迎えるはずだった雄猫クリが亡くなりました。
去年の9月にクリの弟ナナが亡くなり、その悲しみが癒える間もなくこんなことがあるのですね。腸壁にできた悪性リンパ腫でした。
2007年に2匹が生まれて、子供たちも2匹と一緒に育ち、12年近く私たち一家の歴史を豊かに彩ってくれました。
そのお礼を込めて、看病に全身全霊を捧げようとしていたのに、診断からわずか12日目の2019年5月21日に静かに旅立ちました。
亡くなる前日食欲のなかったクリが珍しく私の作った食事を大量に食べ、毛づくろいまでして、夜は体力もないのに私のベッドにあがってゴロゴロ喉を鳴らしながら身体や顔を何度も私に摺り寄せて甘えてくれました。亡くなる当日の朝もゴロゴロと喉を鳴らし、ひょっとして治ったのか?と錯覚を起こすほどでした。
でもそれは彼の、大好きだよ、ありがとう、さようなら!の挨拶だったのですね。
亡くなるまで看護できたものの後悔だらけです。
老いた母に会うために私は一時帰国することになり、その出発前にクリが少しやせたかなと思っていたけれどもまさか命に係わるような病気だとは思わず日本で1か月近くもいて体調の悪いクリを一人ぼっちにさせてしまったことを後悔しています。わかっていたらもっと早くに帰り、クリの側にいてあげられたのに。家に戻ってクリと過ごせたのはわずか16日間でした。
弟のナナが外に出て大けがをしたことが原因で亡くなったため、そのトラウマからクリを家猫にしてしまいました。あんなに庭へ出してほしいとせがんでいたのに!最期の春とわかっていたら、思う存分外へ出して遊ばせてあげたのに。
愚かで無知だった飼い主の私をどうか許してほしいと謝りました。
クリが永遠に生きるとは思わないものの、まだまだクリと過ごせると信じていた私は、日本から家族にクリにおいしい猫フードを買っていくからね、とメールしているのです。
知らないということは何とめでたいことなのでしょう。
この世のお役目を果たしたら、私も必ずクリとナナのところへ行くので、それまで待っていてね、と送り出しました。
愛猫を交通事故でなくしました。
思い出したくもないつらい出来事でした。愛猫は、いま10歳になる息子が五年前に拾ってきたカレンです。
公園のはずれの土手にダンボールに入れて捨てられていた、どちらかというと他の兄弟猫よりも小さく、弱弱しい雌猫だったそうです。
幸いにも一戸建てに住んでいましたので、息子の願いに負けて、ほとんど私が世話することになることは覚悟していたのですが、内気で、引きこもりがちの息子に心を開かせるきっかけになればと思い、飼うことにしました。
たったひとりの友達として、いつも一緒でした。
私の出番がないほどに、よく世話をしていました。
ある月曜日の朝、事故は近所の方が知らせてくれましたが、動転してしまい、息子にどう知らせたらよいか頭が真っ白になってしまいました。
葬儀がおわってそろそろ3か月、息子から笑顔が消え、もとどうりにひきこもりがちになってしまいました。カレンの存在がどれだけ大きかったことか。
息子の悲しみをいやす方法があればと必死に探しています。
昨日、茶々丸一歳になって2日目の朝、息を引き取りました。
私たちが起きたときには、もう既に冷たくなってました。
まだ一歳という早すぎる死に現実を受け入れられず、ただただ泣いています。
心の中にぽっかりと穴があいてしまったように。
前日まで、いたっていつも通り普通に元気に過ごしていました。
最近、鼻血を出すことが多く病院にもかかっていましたが大きな病気でなく鼻炎だろうということで様子見でした。
おとといも、鼻血を出し尻尾や体に血が固まっていたのでお風呂に入れてあげたのです。
そのお風呂がいけなかったのか?それとも、病気があったのか?お風呂に入れなければよかったのか?鼻血が出たときすぐ病院へ連れて行ってれば。などなど…
夜も眠れず後悔のループから抜け出せないでいます。
主人には、凄くなついていた茶々丸。
最近は、私にもなつきはじめててきて甘えて膝に乗ってくることも多くなってきてとても愛くるしかった。
子供達も茶々丸が大好きで、一歳になる下の子はちゃちゃ~とよく一緒にいました。
今朝も、煮干しをもってちゃちゃ~とゲージの前に走って持って行ってました。
昨日、茶々丸の亡骸のまえで、いつものように撫でてちゃちゃ~と声をかけている娘をみると、また涙がとまりませんでした。
ムービーや写真をみて、もっと遊んであげればよかったなぁと走馬灯のように、茶々丸が頭の中で蘇り涙がでます。
何も手につかず、夜も眠れない、ご飯も食べれない、涙がふとした時止まらなくなるこれがペットロスというのですね。
いつになったら、この悲しみからでれるのか。
茶々丸会いたいよ。
19年、一緒に過ごした猫のしんちゃんと、お正月にお別れをしました。
昨年の11月の末から、咳が出て、獣医さんから「肺が異常です。検査も出来ないし、どうしますか?」と言われ、しんどくない様に出来る限りのことをしてあげました。
だんだん、苦しくなって、お正月に息が出来なくってなくなりました。
ずっと、付き添っていました。そんな私を、母は、馬鹿にしたり、責めたりしました。私のことを、1番わかってくれていたのが、しんちゃんだったんです。
悲しく、悲しくて、泣いてばかりです。亡くなってすぐは、しんちゃんに、みんな優しく良くしてくれたことに、感謝してました。側にいてくれている感じがしていました。でも、今は、ただ、淋しくて、悲しくて仕方ありません。たった一人になってしまった淋しさが、とても辛いです。
大好きなしんちゃん、病気を治してあげられなくて、ごめんね。
苦しい思いをさせてごめんね。
泣いてばかりでごめんね。
家に、12年8ヶ月一緒に暮らしていた(;_;)猫クウーチャンがいました。
スコチュシユホールドでした。
突然1月30日の朝は普通に元気にしてましたが、9時過ぎに倒れて、ウオ~ウオ~ウオ~と3回泣いてそのまま死んじゃいました。
突然だったので何が何だか分かりませんでした。
女の子でした。寿命だったのですかね??
中々立ち直れません。
思い出しては泣いています。
昨日の夜裏に埋めて上げました。いままで有難うと言ってね。
花になったポンタ
自分の家は田舎にあって自分が幼少のころから猫を飼い続けておりました。
三毛猫が多かったのですが家が国道沿いにあったこともあってたいてい短命に終わってしまいました。
自分が社会人となり家族がもらってきた猫のポンタもまた一度車にひかれました。
しかし動物病院に運ぶ際中の車の中でポンタはむくむくと動きだし病院に着くころにはすっかり回復してしまったのです。
診察の結果も奇跡のように良好で以後変わらず生活できました。その後国道にバイパスができて安全に暮らせるようになりました。
ポンタはメスで一度だけ4匹の子供を産みました。子供たちのうち2匹は知り合いに引き取ってもらいました。
2匹はそのまま飼い続けましたが親猫より先に旅立ってしまいました。
その後は手術をしてポンタは飼い主にべったりの猫になりました。
ポンタは20年と数か月ほど生き続けおととい旅立ちました。前から患っていた猫に特有の腎臓の病気でした。
人間でいえば100歳を超える?くらい長生きしたので天寿を全うしたと思っています。
ちゃんと子供を産ませ長生きさせることができて、できるだけのことはしてあげられたとは思っています。
ポンタは死んで花になりました。
点滴の約束をしていた動物病院にポンタが旅立ったことを連絡するとわざわざ花を送ってくれました。
その花をポンタのお気に入りの出窓の座布団の上に飾りました。
ポンタがいなくなって生じた心の穴をうめてくれるように花は美しく咲いています。
ポンタの写真をプリントアウトして花に添えたらあまりに辛くて直視できず花だけを飾っています。
まるでポンタが花になったようです。
自分のペットロスとの付き合いはこれから始まるのでしょう。
しかし決して自分が暗く落ち込んでばかりいるのはポンタも望んでいないでしょう。
ポンタは立派に生き続けました。
自分もポンタに負けないくらいちゃんと生きていかなければそしていつかあの世でポンタと出会えたらと思っています。
体験記 パート2(ミルミルの死に対して二度目の投稿になります)
前回気持ちの整理を付けようとこの体験記を書いたのが、ミルミルを亡くしてまだ1ヶ月もたたなかった時。もうとにかく悲しくて悲しくて心のやり場がなく完全にうつ状態でしたが、半年が過ぎ少し私自身も変化したのでまた新たな気持ちで書いてみようと思いペンをとりました。
やっぱり今でも時々涙が出ます。でもその涙する間隔が10日とか2週間とか以前より長くなりました。もちろん思い出さない日はないけれど、時間がいい思い出として解決してくれたのだと思います。
そして何よりまた新しい子を迎えられたこと。
やはりこれもタイミングと縁だと思いました。心の整理もつかないまま急ぎすぎると前回の苦い経験のようにうまくいきません。(直前で里親になれなかったこと)
しかしミルミルを亡くして2か月半の時、娘の知人から話をいただき、とてもかわいい2匹の兄弟猫(オス、メス)と出会うことが出来ました。もうただただ感謝で、今はやんちゃな2匹にふりまわされながらほのかな幸せといやしを感じています。
きっと天からミルミルが導いてくれたんだと信じています。
あれから半年、あの時はこんな穏やかな日々を過ごせるなんて想像も出来ませんでした。ペットロスの本も読んだし講演会も行ったりして何とか打開策がないかもがいていました。でも今思うことは、苦しい体験も無駄ではなく新たな幸せへの一歩であると、悲しくて何も出来なくてもその時はそれでいいのだと、必ずまた幸せが訪れるのだから、その時を待つことも大事だと。
私の場合はやっぱり大好きなネコたちが幸せを運んでくれました。
ただもうすぐ去勢、避妊の手術をしなければならず、それがすごく不安ではあるのですが…
でもきっとそれも今度こをうまくいくと信じています。ミルンが守ってくれているのだから。
私のミルミルと(10ヶ月、オス猫)との別れは、あまりにも突然でした。
あの日、去勢手術をして麻酔からさめた時けいれん様の発作をおこしそのまま死んでしまったのです。
朝までふつうに元気一杯だったので、そんな残酷な現実受け入れられるはずがありません。
獣医師いわく、去勢手術後の急変は年間でもごく数例しかないことだと、なんでそんな運の悪いことが、よりによってうちの子なんだと信じられない思いと、私が勝手に決めてしまった手術で命を落としてしまったミルミルがかわいそうで、涙がこぼれない日はありません。もうすぐ1ヶ月になろうとしていますが…
自分を責める毎日で悔やんでも悔やみきれず、さみしくて悲しくてなかなか立ち直れずにいます。
私に一番なついてくれて帰宅すると玄関までとんできてくれたミルミル。そのあとはいつも私にだきついてくれました。
あと15年位老猫になるまで一緒に暮らしていくつもりだったのに。
3年前に8才の愛猫の病死を経験していますが、その時はあきらめもつきましたし、いつの間にか喪失感は時間が解決してくれました。
しかし今回は、まだ若くあんな形での亡くなり方のためかペットロスがひどく、本当に涙の毎日で立ち直れないでいます。病院に向かう車の中で不安そうに鳴いていた声が忘れられません。
ペットロス関係の本も2冊読みました。だいぶなぐさめられて、その中に新しい子を迎えるのも1つの方法とあったので、私も心の整理をつけようと2週目が過ぎた時、里親探しの譲渡会で新しい子をもらうことにしたのですが、自宅に届けてもらった段階で譲渡側の意向と一致しない部分があるとかで一方的に契約破棄され、心ない言葉をたくさんあびせられました。
それでなくても傷ついている心に追い打ちをかけるように。
ひどい里親会だと思いました。
新しい子と心新たにがんばろうと思っていたのですが、縁がなかったのでしょうね。
きっとまたミルミルがもっとすてきな縁に巡り合せてくれると信じて、まだもう少し心の回復に時間がかかりそうですが、ごめんねからありがとうと言えるようにミルミルのおもかげを胸にがんばりたいと思っています。
さよならの合図 ペットロスから再び笑顔を取り戻すまでの90日間
ペットロスは「克服」しなくていい!
ペットロス・カウンセラーが教える、今からできる5つのステップ
ペットロスから立ち直りたいあなたへ
『お別れなんてしなくていい』心を癒す21のエピソード
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