ペット・ロス体験記~猫

ペットとの別れ、そして死を体験したあなたへ
ねこちゃんを亡くされた方のお話を掲載しています。

ペットロス

東京都青梅市 フリーライター 42歳

ある年の台風の中びしょ濡れで鳴いている子猫を、母が拾ってきました。両目が飛び出していて、獣医に連れて行ってももう今晩ももたないだろう……と。
ところが両目の視力は無くしたもののみるみる元気になり、その後23年も長生きする事に。
私が結婚した時に、猫好きの夫と彼女(名前は、ぷり子といいました)を引き取り三人で暮らしていました。我が家に娘も産まれ、ぷりは子育てにも参加してくれ、いいお姉さんだったと思います。
21年目からぷりは体調を崩す事が多くなり、頻繁に近所の獣医へ行っていました。幼児を抱えての老猫の通院、きつかったです。翌年はさらに弱り、だんだんと不眠不休の介護へ……イヤイヤ期の娘を抱えて、文字通り地獄の日々でした。
最後に迫られた、自宅で補水の点滴をするかという問題。私は断り、自然に任せました。
ある朝夫が「もうダメかもしれない、娘も保育園を休ませて今日はいてやれ」と声をかけてきました。その夕方、私の横で眠るように旅立ちました。
私達家族は、ぷりに命を見せてもらいました。

兵庫県 看護師 53歳

先日11年一緒に暮したにゃん太郎を突然亡くしました。
11年前家の近くに捨てられていたにゃん太郎を保護し育てることになりました。いつも元気で甘えたのにゃん太郎はかけがえのない存在でした。いつものように朝ご飯を食べて玄関先のポーチに5分ぐらいでて外の、空気を感じるのがにゃん太郎の毎日でした。
その日も5分ぐらいしたら私が玄関に迎えに行ったら倒れ苦しそうな息をしているにゃん太郎を見つけ抱き上げましたが、数回声を上げたあと息をひきとりました。あまりの急な事ではじめは涙も出なかったですが、時間が経つにつれ涙が止まらなくなりました。
その日に火葬してもらいました。しばらくしてから家の庭に埋葬しようと思っています。
今も涙が止まりません。でもにゃん太郎には今までたくさんの、楽しい思い出をありがとうと言いたいです。
私は立ち直るのはもう少し時間がかかると思いますがにゃん太郎との楽しい生活を思い出し頑張っていこうと思います。

くろの父と母 36歳

2019年10月29日に扉前にガリガリの黒猫が現れました。地域猫が沢山いるこの辺りでは見たこともない痩せ具合にビックリしました。きっと、他の子たちみたいにムッチリしてたら家に入れなかったでしょう。さくらねこで、既にくろと呼んでる方々がおりましたので、皆んなに相談しつつ自分の家で引き取ると決め病院へ連れて行きました。エイズ、猫コロナのキャリアで白血球の数値が異常すぎると診断。更に腹水があるかもとのことでもって1~2週間の命と…看取る覚悟をし、今までは外と家の行ききをさせてましたが完全家の中へ。玄関から動かないので寝る時は側で寝ていました。それがいつしか全部の部屋を制覇し、お気に入りの場所を沢山見つけ気づいたら1年過ぎていました。ご飯の準備をしてると必ず後ろで待機し、食べる時は一緒でした。朝はセットしてる時間より早めに起こしに来るんです。顔をスリスリ、手でチョンチョン。最近は鼻を噛まれてましたがどれもとても愛おしく幸せな毎日の始まりでした。
持ってるものが最悪ですが発症せずうまく付き合っており、数年いけるかなと思い始めた矢先、急にご飯の食べる量が少なくなり…元に戻ってきたけどガリガリな身体が更に痩せてきたようで…起こしに来てたのが来れなくなり、家の何時ものトイレの場所にも行けなくなってしまいました。 病院へ連れて行ってもただの延命ならと考えておりましたので家で出来る限りのことをして看取ると2回目の覚悟を決めたその2日後の1月10日に死んでしまいました。声も出さず意識朦朧としてるはずやのに急に顔を上げて私の眼、父の眼をそれぞれ見て意識をなくしそれから直ぐでした。 毎日側にいたくろがいなくなりどうしたらいいのか…本当に辛いけど、私達の所に来てくれてありがとう。幸せを沢山ありがとうの気持ちがいっぱいでまだ涙が止まりません。
会いたいよ。

大阪府 看護師 46歳

12月9日に4才で亡くなりました。尿管結石、水腎症、腎不全、尿毒症でした。 今年の7月より食欲が落ちて、毛がボサボサになり病院に行くと4つも尿管結石がみつかりました。
手術は成功率が低く20%。費用は60万。
セカンドオピニオン、電話問い合わせ、同じ病気の猫ちゃんのブログなど、自分なりに色々調べ、悩んで悩んで出した結論は、内科療法でした。
痛い思いさせて、結局助からない結果になったり、成功したとしても、再発しやすいので再手術になりやすい、バイパス手術だと、その後ずっとメンテナンスが必要で通院や、費用の問題。
たくさん先生ともお話もさせてもらい、内科療法にかけて、もしその時がきたら看取ります、といいました。
本当にその時が来てしまった今は、後悔と懺悔でいっぱいで、いったい何が正解だったのか、今でもわからないままです。
どんな治療を選んだとしても、きっと今と同じ気持ちになるんだとは頭で分かっているのですが。
もし私が専業主婦で、お金持ちで通院の時間もあって、なら、日本のその手術の名医の先生の所に連れて行って助かる命だったのか、そう出来なかった私が殺してしまったのか、と。
ただ1つ、後悔がないのは家族で看取れたこと。
お別れの時間をたくさんくれた事。
飲まず食わずになってから点滴だけで1週間頑張ってくれて、ずっと一緒に過ごせました。たくさんたくさん話しかけて撫でて、感謝の言葉をかけました。
だけど、もっと、もっと一緒に過ごしたかった。
子供たちがいつか自立して、時々実家に帰る時に一緒に出迎えて欲しかった。悲しくて、寂しくて、身体がもぎ取られたように痛くて辛いです。
まだまだ、立ち直るには時間がかかりそうです。

東京都 公務員 50歳

9月9日、愛猫ルーチェが18歳6か月で天国へ旅立ちました。18年前、仕事帰りに歩道にいたのを保護しました子で、両目が不自由にもかかわらず、私の体調が悪いときは枕元で寄り添うなど、とても健気で可愛らしい子でした。
亡くなる1週間まえからご飯も水も自力で摂取しなくなり、徐々に衰弱。動物病院で皮下補液を受けた直後は、少々持ち直すも、翌日には再びぐったりするといった具合だったので、9月8日の夜、持続点滴のために入院、翌日の昼過ぎに息を引き取りました。
私は仕事のため、看とれませんでしたが、動物病院の先生方が代わりについてくださったので、寂しい思いをさせずに済んだと自負しています。遺体と対面したときもまるで眠っているように安らかでした。葬儀の日まで3日間、自宅で過ごしましたがルーチェは「ママ、泣かないで。私は幸せだったよ」と語っているようでした。
「ルーチェは精一杯生き、天寿を全うした」そう自分に言い聞かせているものの、18年も連れ添った子がいなくなり、心に穴があいたようです。

島根県 会社員 42歳

7/7の七夕の日、愛猫を亡くしました。まだ、2歳5ヶ月、オスの茶トラでした。
この日の朝、自宅の玄関で排泄をし汚したことに対して、叱りつけて会社に行きました。
早く帰宅しようと思えば出来たのに、ちょっと、お仕置きのつもりで、いつもより、1時間位遅く帰宅しました。
猫は、キャットタワーの上で丸くなって眠るように亡くなっていました。
結局、死因もわからぬままです。
突然の早いお別れでした。
最後に、ケンカ別れの様な形となり、早く帰っていれば、異変に気づいてあげられたのではないか、病院に連れて行っていたら、元気で居てくれたのではないか、一人ぼっちで逝かせずに済んだのではないかと毎日、後悔の涙が止まりません。
周りの人たちからは、いつまでも、悲しんでいては天国に行けないと言われます。
新しい仔を飼ったらとも言われますが、まだまだ、そんな気になりません。
大雨の降る日、家の前でうずくまっていたのを保護しました。
逝ってしまった日も大雨の日でした。
いつかは、やってくる別れの時ですが、時間が戻せるなら戻して謝りたいです。
そして、短い間でも、我が家に来てくれてありがとうと言いたいです。
もしも、猫になって生まれ変わったら、また、我が家の仔になって欲しいと思います。次は、叱りつけたりしないから。

愛知県 会社員 37歳

2020年7月5日に愛猫のサスケがベランダから落ちて死にました。
俺の不注意です。。
まだ1歳の男の子でした。。何故ベランダの窓をちゃんと閉めなかったのか後悔しかありません。
サスケが死んだショック、悲しみ、自分への怒り、喪失感、などに打ちのめされて毎日泣いています。
この苦しみから逃れられたくてペットロス関連のサイトを片っ端から読んだりもしてみました。出来る事はしてあげようと思ったので、お寺に火葬をお願いし、人間と同じ様にお葬式をしてもらいサスケの骨も受け取り、お寺が出してきたペットとの別れの心構えも読みました。
頭では分かっています。。俺が泣いてばかりじゃサスケも安心して天国に行けないって。。
でもどうしても辛い。。いつも家に帰ったら出迎えてくれるサスケ、トイレに行くたびに足にすり寄ってくるサスケ、俺の両腕を傷だらけにしたワンパクなサスケ、寝る時はお気に入りの毛布をフミフミした後で一緒に寝てくれるサスケ、撫でて欲しい時に頭を擦りつけてくるサスケ、辛い時に慰めてくれるサスケはもういないから、、、

サスケ、、部屋に落ちている君が残した抜け毛の塊りもまだ掃除出来ないよ、、君がいないとダメだ、、サスケにもう会えないのがただ悲しくて、、悲しくて、、、。
弟が新しい子を飼うのはどうか提案して来たけどそんな気にもなれない。もうこんな思いをするのは耐えられない。
だけど先月離婚した後に君までいなくなって、家に帰って味わうなんとも言い難い空虚感。。気がおかしくなりそうになる。これはペットロスで鬱になる人の気持ちが分かるよ。
俺はいずれ君に代わる子を探すと思う。。もう少し傷が癒えた後で。
君の事は忘れないよ。。毎日が幸せだったよね?俺は幸せだった。一年とちょっとって言う短い期間だったけど俺の人生の掛け替えの無い期間だった。
愛してる。俺の可愛い息子。素敵な思い出をありがとう。

大阪府 看護師 38歳

まろ(猫)を15歳で亡くしました。
数年前から甲状腺機能亢進症を患い、その薬を飲んでいた影響か腎機能も悪化してきていました。
もともと食が細かったですが、2020年6月に入り2日ほど食べないようになり受診、腎機能がさらに悪化しており食欲が落ちているんだろうと言われました。
自宅で点滴を行い様子を見ることになったのですが、正直かなりきびしいだろうなと感じていました。
点滴の効果あってか、ご飯を食べるようになって安心していたのですが、また食べなくなり、仕事から帰ってきたら横たわっているまろを発見、明らかに息の仕方がおかしく今にもといった状況でした。
電話で動物病院に連絡しましたが、「その状態でしてあげられることはない」と。
今にもな呼吸の仕方をしていましたが、時折しんどさのためか起き上がり、歩いていました。
まだもうしばらくはもつかとおもってしまい、少し仮眠をとっている間になくなってしまいました。ほんの10分ぐらいの間に。
抱っこ、お膝の上がすきだったまろ。なんで、最後抱っこしてあげなかったのか、私が仕事から帰るのを待ってくれていたのに、なんで仮眠とってしまったのか、後悔でいっぱいです。
15歳なので持病もあり、なくなる事は仕方なかったのかも知れませんが、最後をきちんと看取ってあげれなかったことにすごく後悔しています。まろのことは後悔ばかりですが、他の猫ちゃん達にはせめて後悔しないよう接していきたいとおもいます。

アメリカニュージャージー州 主婦 (2度目の投稿です)

大好きだったクリが亡くなって間もなく1年。ナナが亡くなって1年8か月になろうとしている4月半ばに不思議な出会いがあった。コロナで大学の寮から戻ってきた次女のところへ同級生から生後間もない子猫が庭に捨てられているので助けてほしいというテキストが入った。娘が連れてきた子猫を見て驚いた。顔がクリにそっくりで、ピンク色の大きな鼻はナナそっくりの雄猫ではないか。生まれ変わりとは思わないけれど、2匹が相談して天国から私の少し早い母の日のギフトを贈ってくれたのだろうか。コロナで次女や彼女の友人が自宅に戻ってこなければ出会えなかったであろう子猫。天から舞い降りてきたようなその子にクマちゃんと名づけた。小さなクマちゃんの存在ひとつで久々に家の中が明るくなり何をやっても楽しくウキウキと心が弾む。

2匹を立て続けに失った直後は、胸を締め付けられるような深い喪失感に襲われ、泣くまいと思ってもいったん発作のようなものに襲われると自分の意思では涙を止めることができなかった。枯れるほど涙を流した後は割れるような頭の痛みに襲われて頭痛薬を手放せなかった。

ツツジの木の下に佇む2匹がいない。ソファーの上に寝そべる2匹がいない。夜、毛布の中に触れるぬくもりは、お日様の匂いのするふさふさの毛も、耳元で聞こえるゴロゴロもない。あるべきところにあるべき2匹がいないことは何と哀しい空間だろう。本当は何もしたくないし、誰とも会わずに一人になれたらいいのに。

けれど半年過ぎたころ、悲しいことには変わりないが、あんなにかわいい2匹と至福の時を過ごせた自分は何と幸せ者だったのだろうと感謝の想いに変わっていた。時が癒してくれるというのは本当だ。思いっきり悲しんだ半年間は自分に必要な時間だったのだ。

去年の5月21日は、クリが生まれ育った我が家を見納めした悲しい日だというのに空には雲一つない五月晴れだった。2020年今年の5月21日も同じような青空。夕方には2匹の思い出がいたるところに息づいている裏庭の空を夕焼けが真っ赤に染めた。その下には今クマちゃんがいる。クリとナナの側に早くいきたいと思ったけれど、2匹からクマちゃんを託された今、まだまだ長生きしないとなあ。ありがとうクリ。ありがとうナナ。
私たちにてんこ盛りの楽しかった思い出を残し、クマちゃんまで与えてくれて。

アメリカ合衆国ニュージャージー州 女性 主婦

6月で12歳を迎えるはずだった雄猫クリが亡くなりました。
去年の9月にクリの弟ナナが亡くなり、その悲しみが癒える間もなくこんなことがあるのですね。腸壁にできた悪性リンパ腫でした。
2007年に2匹が生まれて、子供たちも2匹と一緒に育ち、12年近く私たち一家の歴史を豊かに彩ってくれました。
そのお礼を込めて、看病に全身全霊を捧げようとしていたのに、診断からわずか12日目の2019年5月21日に静かに旅立ちました。
亡くなる前日食欲のなかったクリが珍しく私の作った食事を大量に食べ、毛づくろいまでして、夜は体力もないのに私のベッドにあがってゴロゴロ喉を鳴らしながら身体や顔を何度も私に摺り寄せて甘えてくれました。亡くなる当日の朝もゴロゴロと喉を鳴らし、ひょっとして治ったのか?と錯覚を起こすほどでした。
でもそれは彼の、大好きだよ、ありがとう、さようなら!の挨拶だったのですね。
亡くなるまで看護できたものの後悔だらけです。
老いた母に会うために私は一時帰国することになり、その出発前にクリが少しやせたかなと思っていたけれどもまさか命に係わるような病気だとは思わず日本で1か月近くもいて体調の悪いクリを一人ぼっちにさせてしまったことを後悔しています。わかっていたらもっと早くに帰り、クリの側にいてあげられたのに。家に戻ってクリと過ごせたのはわずか16日間でした。
弟のナナが外に出て大けがをしたことが原因で亡くなったため、そのトラウマからクリを家猫にしてしまいました。あんなに庭へ出してほしいとせがんでいたのに!最期の春とわかっていたら、思う存分外へ出して遊ばせてあげたのに。
愚かで無知だった飼い主の私をどうか許してほしいと謝りました。
クリが永遠に生きるとは思わないものの、まだまだクリと過ごせると信じていた私は、日本から家族にクリにおいしい猫フードを買っていくからね、とメールしているのです。
知らないということは何とめでたいことなのでしょう。
この世のお役目を果たしたら、私も必ずクリとナナのところへ行くので、それまで待っていてね、と送り出しました。

長野市 女性 38歳

愛猫を交通事故でなくしました。

思い出したくもないつらい出来事でした。愛猫は、いま10歳になる息子が五年前に拾ってきたカレンです。

公園のはずれの土手にダンボールに入れて捨てられていた、どちらかというと他の兄弟猫よりも小さく、弱弱しい雌猫だったそうです。

幸いにも一戸建てに住んでいましたので、息子の願いに負けて、ほとんど私が世話することになることは覚悟していたのですが、内気で、引きこもりがちの息子に心を開かせるきっかけになればと思い、飼うことにしました。

たったひとりの友達として、いつも一緒でした。

私の出番がないほどに、よく世話をしていました。

ある月曜日の朝、事故は近所の方が知らせてくれましたが、動転してしまい、息子にどう知らせたらよいか頭が真っ白になってしまいました。

葬儀がおわってそろそろ3か月、息子から笑顔が消え、もとどうりにひきこもりがちになってしまいました。カレンの存在がどれだけ大きかったことか。

息子の悲しみをいやす方法があればと必死に探しています。

東京都足立区 女性 主婦

昨日、茶々丸一歳になって2日目の朝、息を引き取りました。
私たちが起きたときには、もう既に冷たくなってました。
まだ一歳という早すぎる死に現実を受け入れられず、ただただ泣いています。
心の中にぽっかりと穴があいてしまったように。

前日まで、いたっていつも通り普通に元気に過ごしていました。
最近、鼻血を出すことが多く病院にもかかっていましたが大きな病気でなく鼻炎だろうということで様子見でした。
おとといも、鼻血を出し尻尾や体に血が固まっていたのでお風呂に入れてあげたのです。
そのお風呂がいけなかったのか?それとも、病気があったのか?お風呂に入れなければよかったのか?鼻血が出たときすぐ病院へ連れて行ってれば。などなど…
夜も眠れず後悔のループから抜け出せないでいます。

主人には、凄くなついていた茶々丸。
最近は、私にもなつきはじめててきて甘えて膝に乗ってくることも多くなってきてとても愛くるしかった。
子供達も茶々丸が大好きで、一歳になる下の子はちゃちゃ~とよく一緒にいました。
今朝も、煮干しをもってちゃちゃ~とゲージの前に走って持って行ってました。
昨日、茶々丸の亡骸のまえで、いつものように撫でてちゃちゃ~と声をかけている娘をみると、また涙がとまりませんでした。

ムービーや写真をみて、もっと遊んであげればよかったなぁと走馬灯のように、茶々丸が頭の中で蘇り涙がでます。
何も手につかず、夜も眠れない、ご飯も食べれない、涙がふとした時止まらなくなるこれがペットロスというのですね。
いつになったら、この悲しみからでれるのか。
茶々丸会いたいよ。

岡山県岡山市 女性 54歳

19年、一緒に過ごした猫のしんちゃんと、お正月にお別れをしました。
昨年の11月の末から、咳が出て、獣医さんから「肺が異常です。検査も出来ないし、どうしますか?」と言われ、しんどくない様に出来る限りのことをしてあげました。
だんだん、苦しくなって、お正月に息が出来なくってなくなりました。
ずっと、付き添っていました。そんな私を、母は、馬鹿にしたり、責めたりしました。私のことを、1番わかってくれていたのが、しんちゃんだったんです。
悲しく、悲しくて、泣いてばかりです。亡くなってすぐは、しんちゃんに、みんな優しく良くしてくれたことに、感謝してました。側にいてくれている感じがしていました。でも、今は、ただ、淋しくて、悲しくて仕方ありません。たった一人になってしまった淋しさが、とても辛いです。
大好きなしんちゃん、病気を治してあげられなくて、ごめんね。
苦しい思いをさせてごめんね。
泣いてばかりでごめんね。

S氏 女性

家に、12年8ヶ月一緒に暮らしていた(;_;)猫クウーチャンがいました。 スコチュシユホールドでした。
突然1月30日の朝は普通に元気にしてましたが、9時過ぎに倒れて、ウオ~ウオ~ウオ~と3回泣いてそのまま死んじゃいました。
突然だったので何が何だか分かりませんでした。 女の子でした。寿命だったのですかね?? 中々立ち直れません。
思い出しては泣いています。 昨日の夜裏に埋めて上げました。いままで有難うと言ってね。

秋田県北秋田市在住 男性 47歳

花になったポンタ

自分の家は田舎にあって自分が幼少のころから猫を飼い続けておりました。
三毛猫が多かったのですが家が国道沿いにあったこともあってたいてい短命に終わってしまいました。
自分が社会人となり家族がもらってきた猫のポンタもまた一度車にひかれました。
しかし動物病院に運ぶ際中の車の中でポンタはむくむくと動きだし病院に着くころにはすっかり回復してしまったのです。
診察の結果も奇跡のように良好で以後変わらず生活できました。その後国道にバイパスができて安全に暮らせるようになりました。

ポンタはメスで一度だけ4匹の子供を産みました。子供たちのうち2匹は知り合いに引き取ってもらいました。
2匹はそのまま飼い続けましたが親猫より先に旅立ってしまいました。
その後は手術をしてポンタは飼い主にべったりの猫になりました。
ポンタは20年と数か月ほど生き続けおととい旅立ちました。前から患っていた猫に特有の腎臓の病気でした。
人間でいえば100歳を超える?くらい長生きしたので天寿を全うしたと思っています。
ちゃんと子供を産ませ長生きさせることができて、できるだけのことはしてあげられたとは思っています。

ポンタは死んで花になりました。
点滴の約束をしていた動物病院にポンタが旅立ったことを連絡するとわざわざ花を送ってくれました。
その花をポンタのお気に入りの出窓の座布団の上に飾りました。
ポンタがいなくなって生じた心の穴をうめてくれるように花は美しく咲いています。
ポンタの写真をプリントアウトして花に添えたらあまりに辛くて直視できず花だけを飾っています。
まるでポンタが花になったようです。

自分のペットロスとの付き合いはこれから始まるのでしょう。
しかし決して自分が暗く落ち込んでばかりいるのはポンタも望んでいないでしょう。
ポンタは立派に生き続けました。
自分もポンタに負けないくらいちゃんと生きていかなければそしていつかあの世でポンタと出会えたらと思っています。

神奈川県川崎市 主婦 52歳

体験記 パート2(ミルミルの死に対して二度目の投稿になります)

前回気持ちの整理を付けようとこの体験記を書いたのが、ミルミルを亡くしてまだ1ヶ月もたたなかった時。もうとにかく悲しくて悲しくて心のやり場がなく完全にうつ状態でしたが、半年が過ぎ少し私自身も変化したのでまた新たな気持ちで書いてみようと思いペンをとりました。

やっぱり今でも時々涙が出ます。でもその涙する間隔が10日とか2週間とか以前より長くなりました。もちろん思い出さない日はないけれど、時間がいい思い出として解決してくれたのだと思います。
そして何よりまた新しい子を迎えられたこと。
やはりこれもタイミングと縁だと思いました。心の整理もつかないまま急ぎすぎると前回の苦い経験のようにうまくいきません。(直前で里親になれなかったこと)
しかしミルミルを亡くして2か月半の時、娘の知人から話をいただき、とてもかわいい2匹の兄弟猫(オス、メス)と出会うことが出来ました。もうただただ感謝で、今はやんちゃな2匹にふりまわされながらほのかな幸せといやしを感じています。
きっと天からミルミルが導いてくれたんだと信じています。

あれから半年、あの時はこんな穏やかな日々を過ごせるなんて想像も出来ませんでした。ペットロスの本も読んだし講演会も行ったりして何とか打開策がないかもがいていました。でも今思うことは、苦しい体験も無駄ではなく新たな幸せへの一歩であると、悲しくて何も出来なくてもその時はそれでいいのだと、必ずまた幸せが訪れるのだから、その時を待つことも大事だと。
私の場合はやっぱり大好きなネコたちが幸せを運んでくれました。

ただもうすぐ去勢、避妊の手術をしなければならず、それがすごく不安ではあるのですが…
でもきっとそれも今度こをうまくいくと信じています。ミルンが守ってくれているのだから。

神奈川県川崎市 主婦 52歳

私のミルミルと(10ヶ月、オス猫)との別れは、あまりにも突然でした。

あの日、去勢手術をして麻酔からさめた時けいれん様の発作をおこしそのまま死んでしまったのです。
朝までふつうに元気一杯だったので、そんな残酷な現実受け入れられるはずがありません。
獣医師いわく、去勢手術後の急変は年間でもごく数例しかないことだと、なんでそんな運の悪いことが、よりによってうちの子なんだと信じられない思いと、私が勝手に決めてしまった手術で命を落としてしまったミルミルがかわいそうで、涙がこぼれない日はありません。もうすぐ1ヶ月になろうとしていますが…

自分を責める毎日で悔やんでも悔やみきれず、さみしくて悲しくてなかなか立ち直れずにいます。
私に一番なついてくれて帰宅すると玄関までとんできてくれたミルミル。そのあとはいつも私にだきついてくれました。
あと15年位老猫になるまで一緒に暮らしていくつもりだったのに。
3年前に8才の愛猫の病死を経験していますが、その時はあきらめもつきましたし、いつの間にか喪失感は時間が解決してくれました。
しかし今回は、まだ若くあんな形での亡くなり方のためかペットロスがひどく、本当に涙の毎日で立ち直れないでいます。病院に向かう車の中で不安そうに鳴いていた声が忘れられません。

ペットロス関係の本も2冊読みました。だいぶなぐさめられて、その中に新しい子を迎えるのも1つの方法とあったので、私も心の整理をつけようと2週目が過ぎた時、里親探しの譲渡会で新しい子をもらうことにしたのですが、自宅に届けてもらった段階で譲渡側の意向と一致しない部分があるとかで一方的に契約破棄され、心ない言葉をたくさんあびせられました。
それでなくても傷ついている心に追い打ちをかけるように。
ひどい里親会だと思いました。
新しい子と心新たにがんばろうと思っていたのですが、縁がなかったのでしょうね。

きっとまたミルミルがもっとすてきな縁に巡り合せてくれると信じて、まだもう少し心の回復に時間がかかりそうですが、ごめんねからありがとうと言えるようにミルミルのおもかげを胸にがんばりたいと思っています。

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