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ペットとの別れ、そして死を体験したあなたへ
ワンちゃんを亡くされた方のお話を掲載しています。
大切で宝だった愛犬ろん君を15歳と10ヶ月で亡くしてしまいました。
私にとってろん君は子供の頃からの夢で、絶対大人になったら飼いたいとずっと思っていたポメラニアンでした。
結婚して子供達もある程度大きくなり、初めて迎えた大切な息子。
ペットショップで初めて見た時からこの子と決めて2ヶ月に家族になりました。
小さい頃から病気等とにかく心配だったので、24時間365日やっている病院を見つけて毎月健康診断等とにかくちゃんと見て頂いていたので、元気に10歳過ぎまではいましたが、11歳の時に急に痙攣があってそこからは沢山のお薬を毎日飲む事になってしまって…何が原因が分からず、MRIも勧められたけど、年齢的に全身麻酔が怖くてお断りしました。
血液検査等して行く中で甲状腺低下症かも知れないと言う事で、また更にお薬が増えて本当に可哀想でした。
せっかく痙攣はその後全く無くなったのに、お薬の量は全然減らず、減らして欲しくても先生の方で許可が出して貰えずに、14歳になっていました。
あの時他の病院にもセカンドオピニオンで行っていたら、違っていたのかな…と今も後悔ばかりしています。
15歳を迎えた頃になると心雑音が聞こえると言う事でまた違うお薬が出たり、でもそのお薬のお陰で心臓の方は良くなってると先生も仰って下さり、心臓の薬は無くなりほっとしたのに、次は腎臓の数値が悪くなってしまい、またお薬が増え…本当にろん君にはお薬ばっかりで可哀想な毎日だったと思っています。
私達家族には、ろん君はいつも笑顔を見せてくれて、腎臓が悪くなって辛くても私だけでなく、主人や娘達にも大好きだよと尾っぽを毎日振ってくれて可愛らしい姿を沢山見せてくれていました。
私が凄く心配をしてしまうので、ろん君はきっと元気な振りをしていたんだと思います。
家族全員でろん君はまだまだ大丈夫だよねとか12月にクリスマスケーキを買ってあげようねとか、2月にお誕生日だからお祝いしなきゃねとか、そんな呑気な事を言っていた時、ろん君はかなりきつかったのだと思います。
ギリギリまで家族全員に心配かけない様にと頑張っていたろん君……本当にごめんね。
毎日一緒にいたのに、、、何もしてあげる事出来なかった。
色々な方に15歳まで生きたら十分よとか、長生きしたねとか言われますが、私はもっともっと長く一緒に居て欲しかったし、あの時こうすれば良かったとか後悔ばかりしています。ろん君を亡くして1年以上経ちましたが、まだペットロスから立ち直る事は出来ません。
チワックスの3歳になったばかりの仔でした。
生後2ヶ月の時にペットショップからお迎えし、初めての飼い犬で可愛くて可愛くて、甘やかして育ててしまった為わがままに育ちましたが、私と夫にはとても優しい子で、毎日一緒に寝て、とても可愛い一人娘の様な存在でした。
他の犬や人には容赦なく向かって行くので、旅行や人混みには連れて行けませんでした。
この子にもっと楽しい事があると思ってもらいたくて、姉から聞いたしつけ教室に入れることを決めたのは2023年9月でした。
11月12日から3ヶ月の預託トレーニングに預ける事になり、当日引き渡した時は愛犬のためサッと居なくなってくださいと言われちゃんとお別れが出来ませんでした。
翌月の12月にスクールから中々警戒心が強く、3ヶ月では無理なので1ヶ月でトレーニング諦めるか半年以上のトレーニングになるので選んでくださいと連絡がありました。
一度は連れて帰ろうと思いましたが、翌日に変化が見られてきました!と頑張っている我が子の動画が送られて来て、変化があるなら信じて続けてみようと夫と話し合い、継続を決めました。
ですが、その1週間後に、スクールから愛犬の具合が悪くなって病院に連れて行ったので、今から病院に行って下さいと連絡がありました。
丁度用事があり出かける所でしたが、全てキャンセルし、泣きながら病院に行きました。
我が子は呼吸が荒く、苦しそうにしながら行ったことのない病院の酸素室で苦しそうに不安そうにしていました。
ごめんね、ごめんね、苦しいねと話しかけて1ヶ月ぶりに会ってたても、胸が締め付けられました。
先生からは肺炎と言われ、薬を注射して聞いてくれば良いが、このまま亡くなることもあると言われました。
その日は病院が午前しかやってなかったこともあり、1時間ほど面会し、帰宅しました。
次の日も仕事を休み面会に行くつもりでしたが、朝方スクールの方から電話があり、我が子が病院で先生が朝見に行ったら亡くなっていたと...。
信じられませんでした。
スクールの方からもなんで肺炎になって亡くなってしまったのか分からない、前の日までは鼻水が出ていたが元気だったと...まだ3歳愛してやまないあの子を飼い主のわがままでしつけ教室なんかに通わせたせいで最愛の我が子を亡くしてしまいました。
今すぐにでもあの子に会いたい。まもなく1ヶ月ですが涙を流さない日はありません。
本当に後悔しかありません。
あの子はママとパパだけでも幸せだったのに...本当にごめんね。あの子の気持ちを考えると胸が締め付けられます。
捨てられたと思って1人で頑張ったんだね、辛かったね、面会に行った時苦しい中喜んでくれたね、またまだ立ち直れそうにありません。
あの子に会いたい。大好きなあの子に会いたい。
神様、時間を戻して下さい。と祈るばかりです。
今は苦しくない?お空では楽しく遊べてるかな?ママがいつかお空に行くまで楽しく遊んで待っててね。
大好きだょ。いっぱいいっぱい頑張ってくれて本当にありがとう。
一目惚れして12歳8ヶ月突然メイは天国に行ってしまいました。
小さい頃は食が細くて心配しましたが病気ひとつせず元気いっぱいのメイでした。
子供達が出て行った後からは仕事以外寝る時も出かける時もずっと一緒でした。それが普通の生活でした。
亡くなる2日前急に呼吸が荒くなりびっくりしましたが暫くすると落ち着いたので甘く考えていました。
次の日夜また呼吸が荒くなったり落ち着いたりしながら様子見していました。
朝方、突然に私の腕の中で大きく一息ついてそのまま動かなくなってしまいました。すぐ病院へ連れて行きましたが目を覚ましてはくれませんでした。心不全だそうです。
葬儀の日抱っこさせていただいて、ゆっくり時間も取ってもらったので一区切りついたつもりでしたが、家に帰るとメイの声が聞こえずしんとしてなにをしてもメイの事が思い出され涙がとまりません。
メイの世話をしてるつもりが、ほんとはメイに支えられていたんだと気が付きました。
もう一度会いたいではなく戻ってきて欲しい。ただそれだけが願いです。いつの日かまた再会して一緒に過ごせる日までメイの想い出と過ごしていきます。ありがとうメイ
ギズモは何気なく立ち寄ったペットショップで主人が一目惚れして連れて帰った子です。
小さなころはヤンチャで好奇心旺盛、目に入れても痛くないとはこの事か!と知りました。
共働きの私たちが留守の間に独りぼっちは可哀想だと、モモタを迎えました。
その後、私たちに子供が生まれて、家族5人の生活は本当に幸せでした。
主人の転勤でベトナムにも一緒に行きました。
モモタはベトナムで肺水腫になり、ペットの治療技術が進んでいないベトナムで亡くなりました。私はキチンとした治療を受けさせてあげられなかったこと、亡くなるときに傍にいてやれなかった事を何か月も後悔して泣いていました。ギズモはそんな私の傍にいつも居てくれました。そして私はギズモには出来る限りの治療をすることと、必ず最期は看取る事を心に誓いました。
日本に戻った時はギズモは12歳、念のため受けた検査で心臓の弁閉鎖不全と診断され、投薬を開始しました。ずっと元気だったんです。甘えん坊で忠実でいつも傍に居てくれた。
しかし14歳半の時にモモタと同じ肺水腫で生死を彷徨いました。私は「逝かないで、未だ一緒に居られるよ」と泣き叫びました。ギズモは奇跡的な回復を見せて、また元気になったと思いました。
でも、それから度々発作を起こすようになり、私は少しでも楽にしてやりたくて、酸素発生器を購入し、発作を起こすたびに酸素吸入をさせました。腎臓の数値も悪くなり、もう長くはないと言われました。
クリスマスを迎えられるか、年を越せるか、桜が見られるか、15歳の誕生日を迎えられるか、、毎回病院で先生に言われましたが、ギズモは全てを乗り越えてくれました。
しかし段々発作がひどくなり、夜はあまりに苦しがるのでずっと酸素室に入れたり、私は何度も夜中に起きて介護をしました。
またクリスマスが来て、年も越せて、桜を見る約束も果たしてくれた直後、ちょうど主人が一時帰国した翌日に亡くなりました。16歳の誕生日を迎える事は叶いませんでした。
でも、家族が揃うのを待って、朝もちゃんと散歩に行けたのに、急に後ろ足が立たなくなって舌が真っ白になりました。
酸素を吸入させると少し舌の色が戻ってきて、乗り越えられたと思ったのに・・・。
立ち上がれなくなって数時間で息子が学校から戻るのを待って逝ってしまいました。
口に当てていた酸素マスクを手で弾いて、ワンワンと4回鳴いたので私はギズモを抱きしめました。「大好きだよ、愛してるよギズモ」と叫んだ途端、全身痙攣して逝ってしまいました。
ギズモ、今貴方はどこにいるの?
いつだって傍にいてくれたじゃない?
ママが泣くから寂しがるから、苦しいのに無理をして頑張らせてしまったんじゃないかと苦しくなります。モモタの時のように私が後悔しないよう、出来る限りの事をさせてくれた。
ちゃんと皆にお別れを言わせてくれたんだね。
ギズモ、あなたはウチの子で幸せでしたか?
ママはギズモとモモタがウチの子になってくれて本当に幸せでした。本当にありがとう。
天国でモモタと一緒に待っていてね!
また会えるよね。また必ず会えるよね。
今年4月30日、ブリーダーさんより譲渡されましたカニヘンダックス(メス)を、10年一緒にいて、11歳弱で亡くしました。
1年前より、血液検査で、腎臓数値が少し高く、療法食と吸着炭で治療して下さいと指示があり対応しておりましたが、4月上旬、嘔吐があり、血液検査の結果、かなり数値が上がり、皮下点滴で3週間処置しましたが、数値が下がらず、医師より、他に処置方法がありませんと言われ、自宅で看取ることにしました。
3週間、日に日にご飯も食べずに元気がなくなるのが分かり、亡くなる深夜、今まで聞いたことない吠え方(ワオーン)が何度かあり、寝ないで看取りましたが、早朝、口をカンカンカンと3度噛み、舌を横に出して亡くなりました。
この後、ペットロスになり、このサイトを知り、同じ境遇の投稿を読み共感しました。
私は、ペットの遺影の前では、元気な飼い主であり続けたいと思い、今日一日の話をし、これから、切り花用の種を蒔き、花を咲かせて飾りながら、ペットロスの低減にしたいと思っておりますので、自分の体験を、ロスになった方にも多少和らげればと投稿しました。
最後に、愛犬との思い出は悔いのないよう、いつでも一緒の生活でした、ただ、急性腎不全の処置には、ドクター意見主体ではなく、こちらが、もう少し真剣に血液検査回数を増やせば、まだ長生きしたかもわかりません、この点で一生償っていくつもりです。
犬は、もう飼うつもりはありせん、また1からしつけなければならないことと、亡くなった愛犬と対比して、今までどおりの飼育ができないと思いますし、看取った時の愛犬の姿は、2度と見たくないと感じています。
ペットロスになった方も、少しづつ気持ちを取り戻してください、大好きな飼い主さんが元気がなければ、亡くなった愛犬も天国で心配していると思いますよ!
ここちゃんは、私が中学1年生の頃にペットショップで出会いました。余りの愛くるしさに、元々犬を飼いたいと言っていた私以外の家族も陥落し、家族になりました。
そして、2023年の3月3日、11年2ヶ月という短い命を終えました。最後は病院でした。ひっそりと、吠えもせず、亡くなったと聞かされました。
最後を看取れなかったこと、病気のことも知っていながら、母と父に任せて仕事ばっかりだったこと、散歩にも全然行かなかったこと、薬をあげてと言われたら、面倒くさいなと思ってたこと、全部全部本当に後悔しています。本当は、何も考えず飼いたいと言っていたあの時の自分も馬鹿だったと思ってます。
でも、この11年本当にここちゃんと過ごせて幸せだったから、きっと時が戻ってもここちゃんと家族になりたいと思います。ここちゃんが居なくなって数週間、仕事がちゃんと手についてなくて、「ちゃんとわんちゃんのことを話した方がいいよ」とアドバイスを貰ったので、ここで話そうと思いました。
亡くなったと知った時、亡骸と共に一夜を過した時、火葬した時、遺骨を飾った時、そして、一人暮らしに戻っても時々、思い出しては泣いています。でも、まだずっと悲しくて、いくらでも泣けてしまう。
ここちゃん、ここちゃんがただただ、大好きです。本当にずっと可愛くて、癒されていて、本当に、辛い時にそばに居れなくてごめんね。ここちゃんは、私のことを多分兄弟みたいに思ってて、いつも遊ぼう遊ぼうとご飯終わって席から立ったり、その素振りを見せると吠えていました。うるさいうるさい、とか言ってごめんね。
元気な時にもっと遊べばよかったし、体調が悪いのに、やっぱり一人暮らしなんて始めなきゃ良かった。もっと一緒にいたかった。最後が、病院で、ちょっと鼻先に触れただけなんてあんまりだよ。寂しかったかな。遊びたかったかな。私も、もっと抱きしめたかった。ごめんね、ごめんね…。
仕事が手につかなくて困ってたけど、家に帰ったら、私にはまだ家族がいると気づきました。大切な家族を、妹はいなくなっちゃったけど、父も母も居るし、姉もいる。可愛くはないけど、大切な家族です。
仕事をやめて獣医を目指す、目指さないとという気持ちになってたけど、今思えば、ただただ、ここちゃんに償いたかったんだと思います。ずっとここちゃんのことを考えて、思い出せるようにしたかったんだと思います。
でも、それは私も辛い道だし、家族も心配するだろうから、ちょっと冷静になろうと思いました。もちろん動物は大好きだけど、今の私は、ただここちゃんを救いたかったという気持ちに支配されてるだけなんだろうと。もう無理なことを、ずっとずっと思っている状態。
ここちゃん、遺骨を拾ったし、死んじゃった自覚はあるんだけど、まだまだ慣れそうにないです。ここちゃんとの思い出を見ると、すぐ泣いてしまいます。でも、いつか笑顔になるので、もうちょっと泣かせてください。
私は輪廻転生とかあまり信じてなくて、死後の世界もないと思ってたんだけど、今はそれを信じたい思いがわかります。何を言っても聞こえてないと思うのは辛すぎるし、ここちゃんの幽霊なら歓迎だから。
ずっと、私の大切な大切な家族。獣医にならなくても、忘れないよ。今いる家族の幸せと、自分の幸せを考えるね。ここちゃん、幸せだったならいいな。私は、幸せだったし、これからも幸せだよ。出会った頃からずっと、ここちゃんを1番愛してる。またね。
最愛の弟が18歳で空に旅立ってしまった。
亡くなったのが土曜で急変したのは金曜日だった。
空ちゃんもう少しで19になってたのにこのまま生きていたら。
空ちゃんは甘えん坊で、犬にはビビリで頑固で自我が強かった。
父にボールを見付けては、首をぐんと触り、見て僕が見付けたんだよ良いでしょ?と自慢気に見せていた子だった。
徐々に元気無くなってきたのは17歳前後だった。
まず前が見えない、ぶつかる歩けばコテンとコケる、目も耳も遠くなっただけど食欲だけは、相変わらず私に劣らずだった。3月に、マンションから違う地域に住みだしてからだった。
もうこの頃から心臓も悪くなってたから肺も悪くなってたのかもしれない。
悪化して亡くなるのは診断された翌日。
苦しいのか朝からウオンウオンと引っ切り無しに鳴いて9時に亡くなってしまった。
もう苦しくない?辛くは無い?もう一度生まれ変わって来るのなら何年経っても待ってるよ。それまでサヨナラは言わない。ありがとう、元気でね?虹の梺でまってて何時か会いに行くから。
僕が8歳の誕生日にプレゼントとして買ってもらったワンコでした。
ウチの子は兄弟よりも格安で販売されており、最後まで売れ残っていた子でした。
挙句に、20万という値切りで購入したと聞いています。
その子はまぁ破天荒でわがままで、暴れん坊でした。
この子は闘犬なので、僕も耳や顎に穴を開けられて叩いてしまったこともありました。
でも、可愛い弟であることには変わりありません。
散歩も良く行ったし、エサもあげた、そして一緒にコタツで寝たら噛まれた。
そんな日常がいつまでも続くと思ってました。
でも、弟は目がだんだん白く濁ってきたり、足が悪くなってきました。
僕も仕事をクビになったり、殺されそうになって逃げたりしていました。
2021年11月末、弟がゲロをいつも以上に吐きました。
病院に連れて行ったところ、厳しいと言われてしまいました。
日に日に痩せ細る弟。見ていて辛かった。
宣告されて2日後、良く行った公園に連れて行きました。そして夕日を眺めて一緒に帰りました。
旅立つ1日前、弟は最後の力を振り絞って夜遅くまで作業している僕に「一緒に寝ようよ」とフラフラしながら歩いてきたのを今でもフラッシュバックします。
その次の日、僕は何故か深夜4時まで起きれていました。普段なら寝ていてもおかしくありません。
頃合いが付いた頃、弟の様子を見に行ったところ、息をしていませんでした。
死後硬直もしていなかったので、きっと「死んだから迎えに来て」と伝えに来たんだと思います。
唯一の友達を失って、今でもいきなり涙腺が決壊してしまいます。
でも、それと同時に守護霊として弟が今でも傍らにいる気がするんです。
何か重大なミスする寸前に虫の知らせで踏みとどまれる時があります。
その時に、「そこにいるんだね」と感謝しています。
僕が死ぬ際に、弟が大好物だったチュールを棺に入れてもらって黄泉の世界でまた渡そうと思っています。
他国との戦争で早くなりそうだけど、兄ちゃんがんばるからね。
大好きだよ。また会おうね。
千(せん)ちゃん、千ちゃん、千ちゃん…もっともっと呼びたかった
千ちゃん、千ちゃん、千ちゃん…もっともっといろんな所に一緒に行きたかった。
千ちゃん、千ちゃん、千ちゃん…もっともっと一緒に居たかった。
これは、千ちゃんが火葬される時に書いた手紙です。
我が家にはもうすぐ15歳のレイちゃん、10歳のだんごくん、もうすぐ7歳のライトくんが居ます。千ちゃんは一緒に暮らしている娘と彼氏が一目惚れして我が家に来てくれました。
最後に迎えたライトから何年経ったんだろうと思うと7年も経っていました。正直、自分の歳を思うと新しく命を迎えるのに少し後退気味ではありましたが、久しぶりの子犬でこの子がレイちゃんの歳まで一緒に居れたらママは年金貰う歳よね~って言いながら、笑いながら久しぶりの子犬との生活に楽しみや、時には不安もありつつ千ちゃんの満面な笑顔に癒されつつ日々楽しく日が過ぎて行きました。
いつもどおりの生活を送っていたのにそれが起こりました。好奇心旺盛な千ちゃんがお兄ちゃんわんこに近づいた時に…キャンキャン…聞いた事のない千ちゃんの声に…只事ではないその声に…娘は半狂乱、私はパニック…お兄ちゃんワンコが振り回してたスリッパが小さな千ちゃんの頭にあたり…千ちゃんは頑張って病院までは息をしてくれてましたが、私達の元に戻ってきた千ちゃんは…千ちゃんは、あの愛くるしい千ちゃんではなく無言の千ちゃんでした。
娘は病院の外で、こんなんないわ!まだどこも一緒に居ってないのに!
自分が迎え入れてなかったら、こんな事にはならなかったのに!○○(彼氏の名前)のお父さんとお母さんにもまだ逢ってないのに!なんで!なんで!なんで!と道路を拳で叩きながら私の胸で大泣きするのですが、私はそんな娘を抱きしめるしか出来なくて…。
ついさっきまで、私の足の爪を噛んだりしてちょこちょこ走り回ってた千ちゃん。
お兄ちゃんワンコが悪いとは思わない。そこに私が居たのになんでこんな事が起きてしまったのだろう。私がちゃんと千ちゃんを見てたら…と思うと…もう涙しかでません。
うちに来てくれてから14日目の出来事です。
生後100日も経っていません。
私は千ちゃんと娘と娘の彼氏にごめんね…ママがちゃんと見ていたら…と謝りました。娘と彼氏は誰も悪くない…と言ってはくれますが…なかなか立ち直れそうにはありません。
でも、娘と娘の彼氏はお兄ちゃんワンコには普段通りに接してくれています。
私には、それ嬉しくもありますがただただ…胸が苦しいです。
千ちゃん、千ちゃん、千ちゃん!また逢いたい!
ヨーチワのちゃちゃは1.8キロの小さな女の子でした。
10歳8ヶ月でお空に逝ってしまいました。
別れは突然でした。夜中に「クゥクゥ」といつもと違う息づかいに気づきました。少し具合が悪いのかな。と思いました。朝になったらかかりつけの病院に連れて行こう。
朝になったら…なぜそんなに呑気なことを思ったのか。
小さな身体で蛋白漏性腸症という病気と3年間闘っていました。病気がわかってからも、ほんとに元気で、いつもウキウキしてて、人懐っこくて、甘えたがりのみんなから愛される子でした。
だから、私は油断していて。重い病気だったのに、明日も明後日も何年経っても一緒にいられると思ってました。
朝方、ベッドいっぱいに下痢をしていました。嘔吐もしていました。床におしっこも。トイレはケージの中にあったのですが、今思えばケージのわずか3センチの柵を飛び越える力すらなかったのだと思います。
お尻を洗ってあげてソファに毛布を丸めて寝かせました。長い闘病で下痢にも嘔吐にも慣れてしまっていました。ベッドを汚してしまったので、私はちゃちゃから少し離れて床に寝ました。数時間後に目が覚めたらソファに寝かせたはずのちゃちゃが私のお腹のところにぐったりと横になっていました。ようやく只事ではないと気づき、抱き起こすと首にも力が入らない様子でぐったりしていました。「いったいどうしたの?しっかりして!」と泣き叫びました。救急で診てくれる病院を探して車で走り回ったときの不安と恐怖を忘れることはないです。
病院に入る時に、ちゃちゃの身体に一瞬力が入り、聞いたことのない声で「キャン!キャン!」と吠えました。
できる限りの治療をしてほしいと頼み、入院させました。それが最期でした。夜中に病院から「心肺停止しました」と連絡があり信じられない思いでした。「偉かったね。ごめんね。ひとりにして。ひとりで逝かせてごめんね」と謝りながら亡骸を抱っこして家に連れて帰ってきました。
あんなにフラフラになりながら、私のお腹のところで横になってくれたこと、病院の入り口で吠えたこと、きっと私と離れたくなかったはずなのに、どうして怖がりのちゃちゃをひとりで逝かせてしまったのかと後悔で前に進めません。
亡くなってから4ヶ月経ちました。それでもやっぱり「ごめんね」と話しかけてしまいます。いつか「ありがとう」と伝えられるようになりたいです。
パグの梅吉が11歳で亡くなりました。
酷い下痢が治まらず、検査をして消化器型のリンパ腫だと分かってから、わずか2週間の事でした。
食べることが大好きだったのに全く食べなくなり、最後の数日は寝たきりになって食道チューブから栄養剤を注入する日々でした。
共働きの家庭で留守番ばかりさせたけど、一人の時は寝ていて、本当に手のかからない、いい子でした。
もっと沢山お出かけすればよかったのに。
太ることなんて気にせずに、美味しいものを食べさせてあげればよかったのに。
亡くなる前に抱っこして外の景色を見せてあげればよかったのに。
後悔ばかりです。
かわいかった梅ちゃん、ありがとう。
ずっとずっと大好きです。
何かと病弱で心配だった鈴は、16歳と6ヶ月頑張ってくれた末に、天寿を全うしました。
お転婆で暴れん坊だった鈴も歳と共に落ち着き、最後は私の自作の歩行器を使って歩いていました。
亡くなってしばらくは仕事をしていても集中出来ず、帰宅すれば家族で泣いてばかり…。
でもこれではいけない、鈴が安心して虹の橋まで行けないと思い、鈴が亡くなった日から彼女の四十九日までは、毎日鈴目線での日記形式でSNSに投稿を続けました。
フォロワーの方々から寄せられる温かいコメントにとても癒されました。
その後は撮り溜めた動画を編集する日々を過ごすことで、毎日鈴と遊んでいるような気持ちになれました。
幸せをたくさんくれた鈴には感謝でいっぱいです。
まだまだあちらで会えるまでには時間がかかりますが、鈴のおかげでどんなに楽しかったか、幸せだったか、いっぱい話せるように、これからもSNSへの投稿や動画の編集を続けていきます。
次のコへの出会いも考えられるようになってきた今日このごろです。
ロンへ
ロン。5月8日でママの人生は一変したよ。。
持病があったのに、普段の生活は全く変わりなく元気だったから、、ママとパパは油断していたのかもね。
いつもと変わらない朝。お散歩もして、ご飯も食べて。全く変わらない普通の日だったよね。
夕方に少し呼吸が早い?お腹張ってるのかな?日曜日だから明日朝一番で検査してもらおうなんて話してた。まさかその5時間後に天国に行くなんて思ってもみなかった。
20時過ぎ、突然の嘔吐、下痢。。去年患った急性膵炎と同じ症状だったから、ママとパパは病院に行けば前のように良くなるんだと思って夜間救急に連れて行こうとしたよね。
病院に行く準備をしている時に、「ウー」っと声をあげて、お腹痛いんだね、早く注射してもらおうねってママは車を用意してたよね。
パパが車に運ぶまで体を撫でで、バッグに動かないように横にならせて。。
ママは運転中ロンに負担にならないようにバッグのチャックを閉めたまま慎重に運転した。
病院まで10分か15分。。バッグを動かさないようにそっと病院に運び、バッグをそのまま先生に渡した。。
すぐに診察室に入って行って、あー診察が早くて良かった、早く楽になるねってホッとしたその途端、先生から大声で呼ばれて、診察室に入ったら蘇生されてた。。
心肺停止してるから、蘇生始めますって先生が言ってて。。
ママは意味がわからなかった。何してんの?って唖然としてたよね。
蘇生されているロンを見て、実感がなかったあまりに急で。嘔吐してわずか1時間半の出来事。
夕方に病院に連れていけば良かった、ゴールデンウイーク前に検査に行けばよかったって、何度も後悔したよ。
13歳5ケ月。蛋白質漏出腸症だと診断されてからどこかで覚悟しないといけないとわかってた。覚悟してるつもりだった。だけどね、それから3年経ち、投薬してるけど普段を変わらない姿にママはどこかでずっと生きると思い始めてた。
必ずお別れが来るとママは自分に言い聞かせてたのに、そんな覚悟って意味ないんだなって思った。
こんなに寂しくて悲しくて、小さな小さな体のロンがこんなに大きな大きな存在だなんて改めて感じてるよ。
亡くなる前日、トイレの端におしっこして、こら!真ん中でやりなさい!って怒ってごめんね、駿が生まれて、お散歩をパパに代わってもらって、、もっとママが連れていけば良かった。子育てに追われて、優先順位が2番になってしまってごめんね、生きてるときに愛してるっていっぱい言っておけば良かったね。
パパもママもとっても寂しいです。泣いて泣いて、涙も枯れ果てるほど泣きました。
それだけあなたを愛してるってことだよ。
最期は大好きなパパがずっと撫でてくれて、落ち着いて最期を迎えられましたか?
ママは慣れない運転に気を取られて、ロンが呼吸止まってることに気づかなかった。。ごめんね。。きっとパパとママが車にロンを乗せている時に天国に行ったんだと思う。ママとパパが傍にいる時でよかった。
お散歩大好きで、賢くて、優しくて、吠える声が高くて、挨拶は欠かさない律儀な子で。
最期はお腹痛いのに、ちゃんとトイレまで行って下痢してたね。そういう所もロンらしい。
最高の我が子。愛してるよ心から愛してる。
ロン、天国に行ったって自分で気づいてる?どこにいるの?家に戻ってきてるの?
いつもの場所、きれいにしてベット置いてるからね。
ひながね、ロンの姿探してたよ。ひなちゃんも寂しいんだと思う。パパとママがひなちゃんをしっかり見ているから、大丈夫だよ。
駿もしっかり育てるからね。見ていてね。
大好きだよ。これからもずっと愛してる。
ママがいつかお空に行くとき、迎えに来てね。また会えるからね。その時はずっとずっと一緒だよ。
一週間前にミニチュアダックスのみなちゃんを亡くしました。16歳と4ヶ月でした。
初めてペットショップで会ったとき小学生だった私は初めて一目惚れというものを体験しました。
それから、初めて家でご飯を食べている姿、家で初めてお風呂に入る姿、いまでも覚えています。
たくさん散歩にも行って様々なワンちゃんとも会いました。家族と一緒に車でお出かけすることもありました。食いしん坊で桃の種を飲み込んで腸閉塞にもなりました。寝るときはいつもくっついて寝ていました。私にとって何気ない日常でした。
二年前ぐらいから血液検査で腎臓の値に変化がみられていき、食事管理に気をつけながら日々をすごしておりました。
それから、今年の5月6日まで一緒に生きてくれました。最後は体の具合がかなり悪く辛い思いをさせてしまい、それでも必死に生きて犬生の終わりを迎えました。立派でした。
16年間ほぼ毎日一緒にいた愛犬がいなくなるのは悲しいことこの上ないです。
毎日涙が出てきます。
今、まだ家にいるのか?死んだと気づけているのか?体は元気になったか?美味しいご飯を食べられているのか?寂しくないか?
とっても心配です。
ずっとずっと愛しているよ!みなちゃん!
3月28日、愛犬「りく」が春風と共に逝ってしまいました。
もうすぐ16才。
数ヵ月前から満足に歩けなくなり、立ち上がれなくなり、最後は食べることも出来なくなって
己の体力を使いきり
枯れるように、しかしとてもおだやかに、旅立って行きました。
いわゆる「天寿全う」というやつですね。
私達も出来るだけのことはしてあげました。
だからもう仕方がない。
でも…
ほんとうに寂しいです。
もう、老犬でした。足は、飼った時から関節がずれたまま見つけてもらえず片足が悪く、数年前に反対のひざの靭帯切った。
腸が弱く下痢や便秘で、何回か弱り、病院で薬や治療で生きてた。
今年1月のトリミングで今までになく短く毛を切った。私の要望で。寒さで震えながら散歩した。後悔した。
また弱って下痢になり受診。薬、点滴で、便は改善。夜座ったままでいるようになり、ぱたんと寝てた。
それなのに寒そうだからと服を買いに行き試着をした。
大人しかったのは、きつかったんだろうね。
服を着せたり脱がせたり、うんちをしないとオシッコしないとと外にも連れ出したけど、座り込んでいた。
ごめんなさい。何で老犬なのに、寒いのに、短く切ってしまったんだろう。
こんな寒い時に。
寿命を縮めたし、寒かったし、きつかったよね。
ごめんなさい。最後にこんな仕打ちとか、悪かったね。
1月23日、 私たちの可愛いチャイがお空に還りました。
2008年12月3日生まれで、 2022年1月23日まで生きました。
小学生だった私が25歳になって、 バリバリ働く位の時の流れの中、 思い返せば本当に長い時間、 いつもチャイがいました。
赤ちゃんの時は本当に小さくて、
でもこれから大きくなりそうな太いあんよで…
初めて家に来た日は何が起こったか分からない様子でピスピス鳴いていました。
まだ目が見えていない位小さくて、 細身の母の腕の皮を母犬のおっぱいと間違えて一生懸命吸っていました。
産まれてはじめて目が見えた時に見えたのか私の顔だったようで、 「おかあたま!」と後ろを追いかけてきました。
歯が生え始めてからはよく甘噛みをしてきました。
小学生の私はそんなことは分からないので、 痛がってしまいました。 ごめんね、 痒かったんだよね。
私の家は父親が物を壊したり、 暴力や暴言を吐く人で、
私も小学生の頃はよく暴力を振るわれていました。
そんな中、 たった1匹、 まだ仔犬なのに、 必死に仁王立ちして鳴いて、 私が殴られないように庇ってくれたチャイが忘れられません。
チャイはもう忘れちゃってるかもしれません。
家族の誰もそんなこと覚えてないかもしれません。
でも、 私は多分一生忘れないと思います。
私は肌が乾燥しやすく、 乾燥する度に掻きむしってしまうのですが、 私が掻きむしる度に、
「そんなに掻いたらダメよ~」と心配そうに乾燥した肌を舐めて治してくれようとしました。
唾液で余計痒くなってしまうのですが、
そんな優しさも、 舐められた後の痒みも今となっては懐かしく恋しいです。
犬なのに本当に大人しくて、 静かな子でした。
「ワン」と吠えたり、 誰かを噛んだりなんてしない子で、
本当に気が小さくて、 犬はもちろん、 ダンゴムシにまで鳴きながら怯えていました。
犬らしく活発に駆けずり回ったりすることもなく、 いつも静かに寄り添ってくれる子で、
私たちはそんなところも可愛らしくて大好きでした。
成長してどんなに大きくなっても、
「自分は小さい赤ちゃん!」という認識があったようで、 小型犬用のご飯しか食べなかったり、 母が車を運転していると、 サイズ感を無視して仔犬の頃のようにお膝に乗ろうとする子でした。
どんなに老いても、 私たちにとってはずっと可愛い赤ちゃんでした。
チャイの大人しくて繊細な犬らしからぬところ、
ちょっとクセになる匂いも、
いつまでも赤ちゃんのように甘えてくるところも、 今もチャイの全てが大好きです。
私は昔から、 無意識に虫の知らせを感じ取るところがあります。
といっても、 その時は「死んじゃう」と思っている訳ではなくて、
「何だか分からないけど今日どうしても会いに行かないといけない」という強い気持ちに駆られて、 どんなに疲れていても都合が悪くても、 他の選択肢が見えなくなり、とんぼ返りで会いにいくと、 翌日に亡くなったりします。
チャイもそうでした。
私はその日とても疲れていて、 昼過ぎまで寝てしまい、 明日も朝早くから仕事なのに、
「今日チャイに会いたい、 お菓子を買ってあげたい」と居ても立ってもいられなくなり、
特別な日でもないのに、 犬用パンケーキとケーキを買って、 帰省のため電車に飛び乗りました。
おばあちゃんになって、 もともとのんびり屋さんだったチャイの動きは、 さらにゆっくりになっていたけれど、 それ以外はいつも通りのチャイ。
なでなでしてから、 買ってきたパンケーキを手からあげました。
これが、 私が見た生きてるチャイの最後の姿です。
翌日、 遅番出勤なのに、 何故か目が冴えて朝から起きていると、 母から 「チャイがなくなったよ」と。
「え!?」としか言えませんでした。
私たちの赤ちゃんは14歳、お別れが近いことは、頭の中では分かっていたんですが、
無理だと分かっていても20年、30年と生きて欲しい、うちの子ならいけるのではないかと本気で思っていました。ずっと一緒にいてほしかったから、チャイがいない人生なんて考えられなかったから。
その後、すぐに実家に戻ると、
チャイはお気に入りのハートのクッションと、ボールと、ごはんと、私が買ったケーキの残りと、お花に囲まれて、
ダンボールの中で眠っていました。
亡骸になっても、チャイは可愛くて愛しいチャイのままでした。
心のどこかで、まだ目を覚ますのではないかと思ってしまい、肉球を軽くつねったりしましたが、チャイはうんともすんとも言ってくれませんでした。
火葬では、母がチャイを揺さぶって、
「チャイ起きなさい!」と何度も叫んでいましたが、チャイが目を覚ますことはありませんでした。
母が揺さぶっても起きないことで、
私も「本当にもう起きないんだ」と実感しました。
それまでは、何日も保冷剤と一緒にダンボールに入ってても、「まだ目を覚ますんじゃないか」と本気で思っていたのです。
火葬の最中、火葬場の煙突から、
私たちの可愛いチャイが煙になってお空に還っていくのを見届けました。
14年、食べて笑って甘えて生きたチャイが、あっという間に煙や灰になっていきました。
あの煙が、あの骨がチャイなの?と思う気持ちもあったけれど、頭蓋骨の頭の形は間違いなくチャイの可愛らしい頭のフォルムで…
地元でのチャイとのさよならの後、すぐに自分が暮らす賃貸に戻ってきていますが、
まだ今度実家に帰るとチャイは母とボールで遊んで、ジャーキーを食べて、お昼寝してるんじゃないかってどこかで思ってしまいます。
一番辛いのは、チャイを「思い出」や「過去のもの」にしないといけないことです。
あんな可愛い子を「思い出」になんかできない。
犬を「飼っている」から「飼っていた」になることで、チャイがいないことを思い知らされる。
チャイが「天国にいる」って言われても、しっくりこないんです。むしろそんな遠くに行かないでほしいと思ってしまいます。
天国で会えることに希望を見出しても、私はまだ20代。あと50年も60年も、チャイのいない世界で生きていくなんて、考えただけで辛いです。
世界中のどこを探しても、どんなに遠くに移動しても、チャイに会えないことが、辛いです。
お化けでもいいから、 ずっとそばでチャイを育て続けたいけれど、 残念ながらチャイの姿は見えなくて… そこにいるの?そばにいるの?どこにいるの?
チャイにはずっと私たちのそばにいてほしいと思う一方、チャイの生まれ変わりのワンちゃんに出会いたい気持ちもあります…
要するに、どんな形でもいいからチャイといたいんだと思います。
チャイがいなくなったこの1週間が長い長い夢で、目が覚めたらまた赤ちゃんのチャイを1から育てたいとすら思います。
チャイはどんな姿になっても、姿が見えなくなっても、ずっと私たちだけの可愛いチャイだから…。
うちに来てくれてありがとう。
これからもずっと一緒だよ。
私たちはチャイのことが今もこれからも一番大好きだからね。
ずっとそばにいてね、また会おうね。
私とみーちゃんとの出会いは2005年。
犬が昔から飼いたくてよく通っていたペットショップのケースの中にいました。他の子には目もくれずみーちゃんしか見えませんでした。スポットライトはみーちゃんにしか当たってなかったです。
冬の寒い日初めて我が家に来ました。ブルブル震え不安そうにしており2週間は甘えてくれませんでした。それからはとても甘えん坊で大人しく、穏やかな性格の子だと一緒にいるうちにだんだん分かってきました。元々後ろ足が細く少し曲がっていている子でした。
ワンコとの生活は戸惑いもありましたが全てが愛おしかったです。
とにかく可愛かったです。
ゲージの中で寝る様にしつけても寝ず、夜泣きがひどい為、結局私の心が折れてしまい、ベッドで一緒に寝てしまいました。
食が細く色んなドッグフードを試しました。ちゃんと食べてくれるドッグフードに出会うには時間がかかりました。
何処に行くにも一緒に行きました。車に乗るのも大好きな子で、窓から景色を見るのが好きでした。お花見シーズンには一緒に桜を見に行きました。旅行にも一緒に行きました。
7歳位の時にはヘルニアになりました。小型犬だったのに歩かせ過ぎた私が悪かったのだと後から分かりました。
病院の先生には手術が必要だと言われましたが痛い思いをさせるのは可哀想だなと思いました。手術しても歩けないままの子がいると言われていたので、車椅子の購入も考えていました。
手術までの日、出来ることはないかと先生に相談するとリハビリして下さいと言われ、毎日自宅でリハビリしました。お風呂に入って足腰を温めてマッサージしたり、タオルで引っ張って運動したりしました。
すると、、手術しなくても奇跡的に歩ける様になりました!奇跡を起こしてくれた瞬間でした。
それからずっとヘルニアになる事は無く元気に歩いていました。
みーちゃんは私達家族といつも一緒にいました。
ソファーに座っていつもこっちを見ていました。長年一緒にいるとアイコンタクトで何を考えているのかすぐに分かる様になりました。
それはお互いそうだったと思います。
みーちゃんも私が辛い時期はそっと寄り添ってくれていました。楽しい時は楽しんでくれるけど、辛い時は自分の我は押さえ優しく静かに見守ってくれる優しい子でした。心の支えでした。
16歳の誕生日頃にお腹に腫瘍が見つかりました。手術という選択はしませんでした。それから半年後にみーちゃんは私の腕の中で亡くなりました。最後の5日間はご飯も食べれず、水も飲めれず、嘔吐を繰り返して、短期間で痩せてしまいました。そして、全く寝る事は無かったです。痛みと闘っていたみーちゃんはそれでも私に心配をかけない様に弱さを見せませんでした。その姿は今でも思い出すと苦しくなります。
2022.1.17亡くなる日の夜、大きな痙攣を起こした時、私はその姿を見ると今までのみーちゃんとの思い出が込み上げ、今日が本当に最後のお別れの日だと思いました。
今までのありがとうと伝えたくなりました。
もう頑張らなくて良いよ、充分癒すお仕事をしてくれて感謝していると頭を撫でながら伝えました。そう伝えてからみーちゃんは力が抜けた様に、子犬の頃の様に私に甘えてきました。自分の最後を悟った様でした。荒い息遣いが続き、最後に息を引き取るまで抱きしめていました。ずっと私の目を見つめていました。私もみーちゃんの目を見つめました。最後、息を引き取る時、声を出して鳴きました。それから口を開けたまま、目を開けたまま息を引き取りました。
最後を腕の中で看取れて良かったです。
16年間本当にありがとう。出会ってくれて、皆を癒してくれて、沢山の思い出をありがとう。
今でもずっと大好きです。虹の橋で会える日を待っています。
昨日、15年6ヶ月一緒に過ごしたダックスの抄良(サラ)とお別れしました。
もう少し手をかけてあげられれば、もっと出来る事があったのではと後悔ばかりです。
今日火葬をして小さな骨壺に収まって帰ってきましたが、今でも家のどこかにいるような気がしてとても寂しいです。火が消えたよう、とはまさにこの事だと実感しております。
小さな身体で我が家を照らしてくれた沙良。今は苦しくないですか?痛い所は無いですか?
飼い主があまり泣き暮らしていると安心して天国に行けないと聞きました。なかなか難しいけど、出来るだけ頑張ろうと思います。
3ニャンとお父さんとお母さん、みんないつかそっちに行きます。また会いましょう。
2021/10/16 愛するメイは9歳と5ヶ月で空へ旅立ちました。
メイが家族になったのは娘のたってのお願いで、先住犬が同じチワワの男の子(モール)だったので、今度は奥さんをとせがまれ我が家へやって来ました。
最初はモールがなかなか受け入れられず、体調を壊したりしましたが、いつの間にか赤ちゃんを授かるほど仲良しになってました。
メイが1歳の夏でした。
せっかく授かった赤ちゃんは死産となってしまいましたが、メイは時間をかけて赤ちゃんがいなくなったことを少しずつ受け入れてくれました。
6歳頃から下痢が頻繁になり血液検査をしたらアルブミンがとても低く、蛋白質漏出腸症と言われ、ステロイドを処方されましたが、長く続けるのは良くないと、血液検査をしてはステロイドを処方されたり止めたりと繰り返しでした。
ネットで色々調べて、アルブミンが下がり過ぎると=死と言う記事を目にし、手作り食がいいと知りご飯も手作りにして、サプリで良いものがあると知ればサプリを試してなどの日々でした。それでも下痢と通常便の繰り返しで、ステロイドはやめられませんでした。
ステロイドは良くないとわかっていても、服用すると下痢が治まり、病院を変える事もしませんでした。食の細いメイに先生から試食で戴いたドッグフードがありそれだけはメイが食べてくれたので、手作り食とドッグフード両方あげていました。
昨年9月に入ってメイの様子がおかしくなり、そのドッグフードを販売している病院が別の病院しかなくその病院へ買いに行った時、症状を聞かれエコー検査などもした方がと言われ、思いきって9/20からドッグフードの置いてある病院に変えました。
ですが、症状は良くなくいつどうなってもおかしくない、1ヶ月くらいかもしれないと言われましたが、絶対大丈夫!と言い聞かせました。すい臓も悪くなってると言われ3日間だけ入院し、すい臓は良くなり、アルブミンの数値も回復して来ましたが、毎日点滴(ステロイドや抗生剤その他)に一週間通い、アルブミンの数値も良くなって便も普通になり、1日置きの通院になりステロイドも徐々に免疫抑制剤へ変えて行きましょうと言われて喜んでいたのもつかの間、一週間が過ぎた頃、また下痢が始まり、元気がなくなりました。今までは何とか乗り越えて来ましたが、今度は本当にダメかもと悟った自分がいました。
亡くなる1週間前くらいから仕事も休んだりしてなるべく一緒に居ましたが、亡くなる前日の朝行きたくない気持ちを押し殺し出勤したのですが、胸騒ぎがし娘からも連絡があったのですぐに帰りました。
帰ってからメイを抱っこしてモールと一緒に散歩へ行き、その後病院へ行き点滴をしてもらいました。
2キロだった体重が1.1キロになっていました。
10月はまだ寒くもなく窓を開けておくと涼しい風が心地よく、揺れるカーテンの元でメイが眠っていたりしながら夜になり、私の妹夫婦も駆けつけてくれて一緒に過ごしました。
夜中眠るのが怖かったので、ずっと起きてメイを見守っていたのですが、ドアの所にあった柵にフラフラと寄って行きコツンコツンと頭をぶつけていたので布団の方へ連れて来て見守っていましたが、呼吸がおかしくなり、あわてて息子を起こし、仕事で居なかった娘へ連絡し、妹夫婦のいる1階へ降りて行きました。しばらくして娘が帰って来て、抱っこしましたが呼吸が荒くなり、レンタルしていた酸素BOXのマスクを口に当てて少ししたら落ち着ついて来たので少し安心した時、突然痙攣が起き、アーンと声をあげ空へ旅立ちました。今までありがとうと言っているかのように...
朝5:35私達はメイ!メイ!と叫ぶ声と涙で溢れていました。
みんながいる土曜日の朝を選んでメイは旅立ったのだと思いました。
旅立った後、横になってるメイに向かって夫であるモールはワンワンと大きな声で長い間吠えていました。先に逝ってしまったメイになんで先に逝くんだよー!と泣きながら話しかけてるかの様に見えました。
あーしたらもっと生きられたかなとか、こうしたら病気治ってたかなとか後悔ばっかりです。
どこに行くにも、眠るのも一緒だったメイの姿がなくなった毎日。メイの残したブラシの毛、メイが粗相した跡、たまに臭いを嗅いだりしてメイがここに居た証を探しています。
メイがいないことに慣れて行く自分が怖くて、メイとの記憶が薄れて行くのかと考えただけで怖くてたまらないです。旅立って3ヶ月なのにもう何年も逢ってない気がします。
逢いたい…抱きしめたい…キスしたい…
旅立った後、今まで撮った動画や写真をDVDにしたのですが、観るのが怖くて未だに観られてない状態です。
本当は私達よりずっと長く一緒にいたモールが一番悲しい気持ちなのかもしれません。
涙したら心配して虹の橋を渡れないってわかってるのですが、毎日涙が溢れて来ます。散歩してるワンコを見かけるとメイと似た子を探してしまう自分がいます。
葬儀の時も何度もありがとうと叫んだけど心では嘘だと言って!逝かないで!って叫んでた…
もっと一緒にいたかった。もっと長生きして欲しかった…:sob:
メイは人が大好きで、誰にでも懐いてしまう優しい子でした。そんな子なので心臓が悪いモールを心配して、病院を変えさせるために、自分が身をもって伝えたのかもしれません。
メイが生きていた時、メイが死んだら生きられない程辛いだろうと怖さを感じて居ましたが、亡くなった後はそのなん十倍も辛いです。
笑える日が来るのはあとどれくらい掛かるかわかりませんが、モールがメイの分まで長生き出きるように、精一杯愛して行きたいと思います。
胸につかえてるこの想い少しでも吐き出させていただけてありがとうございました。
12月20日に、15歳の誕生日を迎えたレオンですが、1ヶ月たたないうちに、永眠しました。
誕生日頃から、お腹が張ってきて、太ったのかなと思っていたら、あっという間に、足まで腫れてきました。
12月25日に病院に行きましたが、腹水が溜まっていて、原因は、肝臓か心臓でどちらかということでした。肝臓だったら、肝硬変で末期症状と言われました。
お薬で、様子を見るというで、利尿剤などの薬をもらいましたが、変わらず、1月4日に病院に行って、薬を心臓の方に変えました。
ですが、腹水が抜けず、お腹が膨れすぎて、歩けなくなり、7日病院に行って、3分の1ほど、抜けてもらいました。
そうすると、レオンは、寝てばっかでしたが、歩き出したので、夫婦で、喜びました。
喜びも束の間で、二、三日ですぐに溜まり、また、病院に11日に行ったのですが、命に関わると言われて、抜いてくれず、効き目が強い薬にかわりました。
その薬を飲んだら、足や顔までにきていた腹水が少しづつ減っていたので、薬が効いていると喜びました。
また、この頃は、まだ、以前ほどではないですが、食欲があり、大丈夫だと安心しました。
ですが、13日の夜から食べなくなりました。14日も朝食べませんでした。
夜、仕事から帰ってきて、もう、長く歩けないので、寒いですが、ベランダに出して、おしっこをさせました。
腹水を抜くためには、おしっこをさせるしか方法がないので、おしっこをさせるために、ベランダにはよく出していました。おしっこをするので。
14日の夜ベランダに出した時、ベランダを一周していつもより歩くので、よくなっていると思いました。
ですが、そのあと、食べなくなったレオンに、夫婦で、薬を飲んでもらうたのに、薬を潰して、ドッグフードに混ぜて、口まで持っていきましたが、食べず、無理に口まで持っていきましたが、食べませんでした。
そこから、部屋の中を3、4歩歩いて寝たので、いつも寝ている場所に移動させたら、急に呼吸があらくなり、あっという間に痙攣して、亡くなりました。
良くなっていると思ってましたし、明日、病院に連れて行こうと、話していたところなので、夫婦揃って泣き崩れました。
レオンと過ごした15年間は本当に幸せでした。
ですが、生きていて、こんなに悲しい思いは、初めてです。
レオンの看病は、旦那が睡眠時間も削ってしてくれて、病院などもすべてしてくれました。
感謝しかありません。
レオン、橋のたもとで待っていてね。愛してる。
12月25日私たち家族とサンタが出会いました。生後2か月。ペットの販売会で息子が一目惚れ。反抗期の息子が見せた柔らかい表情は今でも忘れられません。
クリスマスの日に来てくれたからサンタと名づけ、これからの生活に不安と緊張もありながら、かわいいサンタを大事に育てて行こうって思いました。
とにかく可愛い。ずっとみていたい。寝ている姿も可愛くて仕方ない。
初めての経験に息子が恐る恐るだっこしたり、身の回りのことを全部やってくれました。
シングルで息子と2人の生活だったのでサンタが来てくれたことで、全てが変わりました。うちの中もあったかくなりました。なんといっても息子が変わった…私は嬉しくて仕方なかった。
でも、次の日の朝、ご飯の時間になっても寝てる。起きても元気ない。ずっと寝てる…午後から全く食事を取らなくなりました。休みで動物病院もやってない。とりあえず必死にあったかくして24時間見てました。次の日の月曜日、朝イチで病院に行ったら、ウイルスの感染症にかかってるとのこと。厳しいね…と息子が獣医さんに言われました。
絶対治る。私たちはそれを信じて次の日も注射に通い、水分もあげるようにしてとにかくあったかくして寄り添ってました。しかしどんどん弱ってくる。1日寝て水分も取らなくなり始め、しまいには下痢、嘔吐…
立てなくなりずっと横たわっていました。
その日の夜…私の腕の中で最後の力を振り絞り、ありがとうって喋ってくれたかのように口を開いて、静かに息を引き取りました。
うちに来て3日目の出来事でした。
一緒に出かけたかった…
お散歩したかった…
遊びたかった…
ずっと一緒にいたかった。
サンタだってまだまだこれから初めての経験するはずだったのに。
これからまだやりたいことがたくさんあったのに、たった3日…
こんなことがありますか…
病院ではおそらく販売されてた時は感染してたでしょうと。
毎日辛いです。
苦しいです。
涙が止まらずどこにぶつけていいかわかりません。
サンタなんのために生まれてきたのか
幸せだったのか…
今となってはわかりません。
だけど、たった3日でも、うちに来てくれてありがとう。
私たちは幸せだったよ!
サンタと出会えてよかった。
優しい気持ちを息子に芽生えさせてくれた。
小さな体で私たちに大きなものを置いて逝ってしまいました。
しばらくは立ち直れそうにもありません。
ポメラニアン♂れおん12歳9ヶ月で亡くなりました。
鼻腔腺癌宣告から9ヶ月後に旅立ちました。
れおんは賢い仔です。
癌宣告後、毎日の投薬と定期健診、でも亡くなる前の月に発作を起こすようになり、薬もほとんど効果なし。発作の頻度が増え、亡くなる1週間前からは、ボーロや小さなおやつしか口にしなくなりました。もうお迎えが近いかも…と、同居する娘と話していました。
絶対にお留守番させないと覚悟しましたが、11月末にその日は来てしましました。私も娘も休みの日に発作を起こし、自分のお布団にバタンと倒れ、そのまま呼吸困難に陥ったのです。酷い呼吸困難で、病院に連れて行くこともできませんでした。
亡くなってから冷静に死を受け止めた時、れおんは1日で全部これからなるであろう病を終わらせて逝ったんだ…と思いました。
発作、呼吸困難、チアノーゼ、貧血全てを。14時間でした。最期は、大きくハァーハァーハァーと呼吸し、その後に心臓が止まりました。
人間でも、こんな大変な状態は耐えられません。いっぱい褒めて、いっぱい泣きました。
これから札幌は真冬で、きっと雪で病院通いも大変になって寝たきりになるのもわかっていてのこの日だったのだと思いました。
これを読んでいる皆さんへ。
我が仔は、元居たところへ戻って行ったのです。そこでは痛みや苦しみからも解放されて、私達を見守ってくれています。
いつか人生を全うしたら会えます。
それまで、しばしのお別れです。
子供が犬を飼いたいと言い出し出会ったのがマルチーズのメリーでした。
やんちゃなオスで少しわがままでしたが、なぜか憎めないワンちゃんでした。
よく車に乗せたり公園で散歩してたのを思い出します。
ところが12才のとき急に元気がなく病院に行くと緑内障とのこと。
ショックでした。
一生点眼が必要といわれても難しく、飲み薬に変更に。
食欲が落ちるかもしれないといわれましたが飲むしかありませんでした。
食欲が減るとは聞いていたけどここまでなるなんてひどすぎる。
メリーはどんどん元気が亡くなっていきました。
軽くなっていくメリーをいつも抱っこして話しかけるとじっとして
何か悟ってるようでした。
そして令和3年1月29日私の腕の中でキャンと泣いて天国に行きました。
(16才7か月)
長い間病生活でした。
今もいろいろ思い出し涙が出てきます。
でもきっとメリーもこの家でみんなに愛されてうれしかったといってくれてるような気がします。
愛犬プル-は19年前我が家にやって来ました。
貰い手は既に決まっていたのに、是非もらってください。両掌に乗るほどの小さな体。兄弟たちの中でも末っ子で体も一番小さい。壊れそうなぬいぐるみ。生まれて1月位です。そう言われた。
自宅に着くと、愛らしい動きにたちまち我が家のアイドルになった。その夜から親元を離れた寂しさで1週間毎晩夜泣き。
そして、一月が過ぎるとやっと落ち着いて甘えてきた。
子供のいない夫婦は、人間の子のように可愛がりました。
躾も本を数冊買い、勉強しテレビの番組を参考にし一生懸命頑張った。
少年期、散歩も遊びも絶好調。あっという間に2年過ぎ、5年過ぎ。
どこに行くのも一緒。旅行も広島、九州、四国。
ホテルに泊まったのは1度。あとは、車でおとなしく寝るからどこにも行けた。フェリ-にも乗れた。大人しくて、吼えることもないから犬がいる事さえ気づかれない。子供たちに、触られても尻尾ふってるだけ。
そして中年期。
我が家のアイドルも、やや、動きは遅くなったが月2回のシャンプ-も嫌がらず毛艶も綺麗で人間なら60歳くらい、まだまだ元気だった。
そんなプル-が、18歳になり衰えが見えだした。
認知症状が出始めた。18年間無かったトイレの失敗が起った。部屋中をぐるぐる回り始めた。
19歳とうとう、まっすぐ歩けない。立ち上がれない。19歳の誕生日の10日後、息を引き取った。
悲しくて、何も手につかない。涙がとめどなくあふれる。病院から連れて帰るときまだ体は暖かい。
夜中に何度も起きて遺骨抱いて泣く毎日。
19年もの間私を支えてくれた宝物だった。
精一杯生き抜いたと妻は言う。
もうすぐ49日。
虹の橋わたる日が迫っている。
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10月末、19歳の愛犬プル-を病院から連れ帰った時まだ温かく車からおろす私の手は震えていました。
朝出かける時、いつものように横たわっている姿はお腹もへこんでがりがりだった。それでも食欲は有った。まさかその日亡くなるとは夢にも思わなかった。
だんだん硬直が始まり、冷たくなっていく。
大きな声を出して泣きました。
毛布を掛けて、ふわふわの座布団2枚の上に寝かせました。
穏やかな顔でした。
頬ずりして体をやさしくさすってみました。
現実を受け止められない自分が鏡に映ります。
翌日、ペット霊園に電話して火葬の予約しました。
棺の代わりに断ボ-ル買ってきて毛布敷いて、亡骸を収めました。
好きだったおやつ、おもちゃも収めました。
箱に、今までたくさんの幸せくれてありがとうと書きました。車で散歩コ-ス回ってから霊園に向かいました。
お経をあげてもらいいよいよ火葬。
もう二度と姿が見られないと思うと悲しみがこみ上げてきました。真っ白な遺骨なってしまったプル-。
後始末する一つ一つに思い出があり涙がこぼれます。
あと一週間で、虹の橋渡ってしまいます。
いつまでも悲しんでいてはプル-心配だろうけど。
49日過ぎるまでは泣かしてくれ。こんなに愛していたんだから。
春には笑顔でプル-の写真みるからね
17歳トイプードルの女の子!
数年前から、心臓が悪くて定期的に病院へ、高齢でカットが出来ず、病院と併設のワンちゃんカットの所へ、
変わり、病院でレントゲンをとり、薬を増やして貰って、落ち着いた所に、
今度は痙攣をお越し、病院へ行き、頭の病気ですが、高齢で麻酔して、検査は出来ないと言われ、痙攣の薬を飲んでたのですが、急に食べなくなり血液検査すると、腎臓の数値が…
昨日、病院で点滴して、抱っこ紐に入れる時に、手足バタバタした後、抱っこ紐しながら、帰ったのですが、
途中動かなくなり、直ぐに病院へUターンして、心臓マッサージして貰ったのですが、亡くなりました。
悲しくて悲しくて、家のあちこちに、この子がいます。ずーっと一緒に、寝てました。
家族旅行も、たくさん一緒に行きました。
今年7月にも、一緒に海に行きました。
何時も一緒に居てる、ウランちゃんがいなくなるのは、辛すぎます!
主人が病気から、障害者になり、この子の病院、介護と全て1人で、やってきました!
元気な時は、玄関で帰りを待っててくれて、お風呂入ってる時は、扉の前で待っててくれ、甘えん坊でした。
甥っ子や孫を抱っこすると、ヤキモチやいて、必ず膝にのってきてました。
子供達は、結婚しましたが、ウランちゃんとは、離れる事なく、ホントに一緒でした😭😭😭
どうしたら、この子が居なくなった悲しみを、乗り越えられるのでしょうか?
まだ3歳の元気な男の子でした。
異物誤飲の癖があり2回目の異物誤飲、手術の為入院しました。
手術が終わり、退院の日を迎えた朝から元気がなくなり、ご飯も食べられなくなりました。
検査をすると手術した腸から漏れがあるということで再手術になりました。
その後食事が始まり様子を見ていたらまた漏れがあったらしく、その頃には腹膜炎にもなり腹水が溜まり栄養状態の数値も急激に悪くなり貧血になり輸血をしたりしました。
そのような状況でしたがまた漏れた所を繋がないといけないと言われて手術。
その後も状態は良くならず3回目の術後3日目にもう良くならないと言われ連れて帰り家に着いてしばらくして亡くなってしまいました。
最期まで苦しんで血を流して亡くなりました。先生の言われるがままに、助けたい一心でいろんな治療をしてもらいましたが良くなりませんでした。
本当にあの治療でよかったのか、せめて途中で病院を変わるとか、何かできることはなかったのか、どれだけ後悔してもどうにもなりません。
ただただ愛犬に痛い、苦しい思いをさせただけで辛くて仕方ありません。
腕もお腹も傷だらけ、綺麗は毛も剃られてかわいそうで涙が止まりません。
そんなに難しい手術ではなかったはずですし、元気な子でしたからこんな形で急に居なくなってしまい胸が張り裂けそうです。
たった2週間前まで元気だったので、ぽっかりと穴が空いてしまったようで何もする気力がありません。
私の病院選びが悪かったのか、そもそも異物を誤飲させてしまった私のせいでもありまし。どんなに悔やんでももう愛犬は戻ってこないと思うと気持ちが晴れることはないような気がします。
テッドくんは急に具合が悪くなり、医師にみせた時には、もう残りわずかの命だった。
私はがく然とするばかりでしたが、笑顔だけは頑張ってみせていた。
天涯孤独の私と犬の絆は強く、私がテッドに支えられていた。
体調を注意深く見ていなかった後悔。
可愛いらしいしぐさ…を思いだすと涙が止まらない。
しかし、なるべくこまめに外出したり、人間よりも寿命の短い犬の死は普通のことだし、われわれ人間も必ず死ぬと紙に書き、また、あの世とやらで会えると信じて何とか生きている。
投薬治療で病院に通いながらも、食欲もあり、元気な様子にみえた。食いしん坊で、鼻でツンツンつきながら、おやつをねだる姿がかわいかった。
突然の余命宣言から、2カ月後、15さいと2ヵ月で、虹の橋を渡った。
日頃からこの子がいなくなったらどうしよう、私の生活は破綻するかもと考えるくらい、愛しい存在だった。
長くないと宣告されてから、私は食欲もなくなり、睡眠不足が続いたが、一時元気な様子もみせてくれて、貴重な一緒の時間を過ごすことができた。
今ももっとできることが、あったのではと後悔ばかりで、苦しい日々を過ごしている。
リビングに、写真を飾り、月命日には花屋さんから花を届けてもらい飾る。愛犬は花よりだんごだったけれど。
愛犬への愛しさと、目の前にいない悲しみは癒えることはないだろう。
反面、愛犬に向けていたバワーと愛情を新しい夢に向けようと不思議なバワーがわいている。
目の前の幸せを感じながら、日々を大切に過ごしていきたい。
うちの子、チワックスが14歳と5ヶ月でなくなりました…
血管肉腫がおでこにできて、初めの症状は鼻血でした、脳にも転移していて、1ヶ月くらいしか生きられないと言われました。
ケージからは出たがらず、クルクル回っては寝ての繰り返しで、夜中も3時間起きに介護しました。
5月28日午前1時に弱い声で吠えて虹へと…
最後まで、起き上がってオシッコをしたり、頑張ったね、散歩の時、楽しそうに歩くすがた、食いしん坊な所、癒してくれてありがとう
4月25日に愛犬のシーズー太郎が亡くなりました。 12歳1ヶ月でした。
我が家には4ワンいましたが、リーダーでとても賢くてイケメンで私に一番懐いて甘えん坊でした。
一人っ子の娘が小学生の頃は、親とのカルタの練習を見守ったり、ピアノのレッスンに連れていけと催促したので同伴して、娘を静かに見守っていました。
2年くらい前に、痩せたな、毛量が減ったな、なんとなく元気がないと思っていましたが、老いからくるものだと思っていました。でも他の同じ歳のワンコに比べて様子が変だと思い動物病院で診ても楽多ところ「クッシング症候群」と診断され、あと1年、よくて2年しか生きられないと言われました。投薬治療をしていました。
ふさふさだった毛もほとんど抜けてしまったこともありましたが、ある日をさかいに以前と同じように綺麗な毛並みになりました。食欲は旺盛だったし、お散歩も一人だとあまり歩きたがりませんでしたが、4ワンで出かけると「俺も一緒に歩きたい」という感じで一生懸命歩いていました。
昨年末に目の調子が悪くなりました。かかりつけの獣医師に「目の摘出手術をする」と言われましたが、かなり弱っていたので嫌だと思っていました。すると近所の方が他の獣医師を紹介してくれました。その獣医師は目薬で治療しましょうと、点眼治療でもっていました。
亡くなる1週間くらい前から今まで食べていたドッグフードを食べなくなったので、なんとか美味しい物や好きな物を食べてもらおうとしましたが、それすらも徐々に食べなくなっていきました。そして頻繁に粗相をするようになりましたが、それを見た夫は太郎を怒鳴りました。太郎は漏らしたくて漏らしたわけではないのに。
そして4月24日の土曜日に悲しそうな声で鳴いたので近くで撫でてあげると鳴き止みました。それから嘔吐したり下痢をしましたが、気持ち悪くないようにとその都度拭きました。そして苦しそうに息をしていました。
夜11時頃私が就寝すると最後の力を振り絞って近くへ来ようとしたので、隣に太郎を乗せたベッドを置き、手を握りました。手を握られるのはちょっと嫌だったようで引っ込めたのでそのままにしました。そして夜中の2時半頃目が覚めたら、太郎が少し目を開けたまま動かなくなっていました。触ると冷たくなって硬くなっていました。でもその顔は割と穏やかでした。もう下痢も止まっていて少しだけおしっこが出ていました。
もう少しだけ起きて最期を看取ってあげれば良かった、全然迷惑をかけないで家族が揃っている土曜日の夜中から日曜日の明け方に息を引き取りました。
「もっと迷惑をかけていいのに、全然迷惑をかけないで亡くなっていった」と大泣きしてしまいました。
太郎はかつての愛猫アトムにそっくりで生まれ変わりだと思っていました。またいつの日か生まれ変わって会いにきてくれると信じています。今まで太郎をひいきしすぎたところも無きにしもあらずだったので、これからは他の3ワンたちを可愛がって大切にしていくね。でも太郎とはいつも一緒だからね。心から愛してる。また何処かで必ず会おうね。
上の子は社会人、下の子も高校生になり、私自身生活にゆとりが出来たある日その子はやって来ました。
名前はライル。
白黒のボーダーコリーで男の子。
フリスビーが得意で親の言うことを良く聞くとっても良い子。
甘えん坊で、いつも私の後をくっついて歩いて。
カヤックに乗る時も、キャンプに行く時も、海へ行く時も、温泉に行く時も、何処へ行くのも常に一緒。
沢山沢山遊んで、毎日毎日散歩して、帰って来るたびお迎えしてくれて。
自分の子供達よりも何倍も想い出が沢山溢れ過ぎるほど。
そんなある日。
13歳と5ヶ月が経った頃、突然天国へ旅立ちました。
夜中の1時過ぎキューンって声がしたので見ると倒れて息遣いも荒く舌は出たまま。
数ヶ月前も何度かあったけど。
今回は直感的にもう駄目かなって。
今年に入ってちょいちょい具合の悪い日があり、エコーで見ると黒い影外出あると病院で言われ、専門の先生に見せようと思ってた矢先でした。
何となくだけど予想はしてたけど。
前日まで元気だったのに。
遊べ、遊べと騒いでたのに。
食欲も旺盛だったのに。
突然過ぎる死。
もう心臓付近に大きな穴が空いちゃって。
空虚感と心が痛くて。
こんな気持ちはじめてでただただ辛い。
これではいけないと、とりあえず夫婦で朝の散歩を始めることに。
散歩中はいいけれど、家に戻ると心が苦しくて。
そうだ。
明日はよく連れて行った海へ、彼の心と一緒に夕日を観に行こう。
そして沢山沢山泣いてこよう。
そういえば俺まだ泣いてなかったっけ。
少しは楽になるかもしれないな。。。
まさかこんなに辛い悲しいモノだとは思ってもいなかった。
現在ペットロス中。
1ヶ月したらまた続きを書きます。
私はポメラニアンとフレンチブルドッグと暮らして居ました。
2匹共里親から引き取った子達で我が家は子供に恵まれなかったので本当に我が子の用に暮らしてきました。
ポメラニアンは去年から心臓に病気を抱えながら今年まで頑張ってくれフレンチもポメラニアンが亡くなる1ヶ月前から子供の頃に発症した癲癇の薬の影響で消化に問題が出でしまい後を追うようにその一ヶ月後にポメラニアンは13歳フレンチブルドッグは11歳で亡くなってしまいました。
この短期間の間に最愛の家族が亡くなり無気力の中仕事をしてると「あの子達が居たから今まで仕事も頑張れて充実した毎日を過ごして居たんだ」と感じ前までは1日があっという間に終わってたのに今はその1日がとても長いです。
当たり前だった日課の一緒に寝て起きたらご飯を一緒に食べる、仕事から帰ってきたらありったけの力で駆け寄る2匹の姿が無い家に帰ると涙が止まらない毎日です。
ポメラニアンは入院中に最後は家で看取ろうとお迎えに行く朝に亡くなってしまい看取る事は出来ませんでしたがフレンチブルドッグの方が私達が病院から迎えに行った数時間後に私が撫でてる時に亡くなり看取る事が出来た時あの子が前の子の分まで精一杯頑張って私達の迎えを待っててくれんだと感じました。
またいつか犬と暮らしたいとは思いますが今はあの子達と過ごした思い出が悲しいと思わず素敵な日々の思い出だったと思える日まで今の時間を過ごして行きたいと思います。
2021.03.24
生後7ヶ月弱で
お空に行ってしまいました。
8/22生まれのプードル「ティノくん」を1/24に
ペットショップから引き取りました。
生後5ヶ月なのに800gしかなくて
とーっても小さかったけど
めっちゃめちゃ元気で
ご飯もよく食べるしよく走るし遊ぶしで
心配する要素なんて何一つなかった。
3/19家族でアウトレットに行きました。
ずーと元気で歩かせたらベビーカーに乗せたりしてて
普通に夜帰ってきて
「おやつちょうだい」って言うから
おやつをあげたら急にバンって倒れて
慌てて救急の獣医さんに駆け込んで
たくさん注射して
たくさん心臓マッサージもしてもらった。
その時おしっこもうんちも出ちゃってて
自分の中ではダメなんだってことくらい
わかってた。
でも獣医さんに
「もう蘇生する可能性はほぼないしできたとしても必ず後遺症は残りますがやりますか?」と聞かれて
「全部お願いします」って言った。
たった1%の望みしかなかったとしても
わたしはそれにかけたかった。
寝たきりになったとしても
生きているだけでよかった。
でもそれさえ叶わなかった。
ドラマや映画みたいに
「今は夢を見ているだけ」って何度も思った。
でもどんなに時間がたっても
おんなじ光景だった。
車の中で「てぃーちゃんお願い目を開けて」って何度も言ったせいで目を開けたままお空に行っちゃった。
あんなに小さいのに
すごい力で心臓マッサージをされてて
きっと痛かったよね。苦しかったよね。
何度も何度も後悔しました。
もっと定期的に動物病院に行っていれば。
四六時中抱っこしていれば。
アウトレット行った時も妹や弟に任せっきりで
自分だけ買い物せずにずっと一緒にいてあげれば。
わんちゃんの入れるご飯屋さんに行っていれば。
四六時中抱っこしていれば。
おしっこ失敗したくらいで怒らなければ。
とかいろいろ。
家に遺していったキズも今となれば
全てが思い出になってしまいました。
未だに
ティーちゃんがした
おしっこうんちなにひとつ片付けれません。
捨てちゃうと
居たことを否定してるかのように思えて。
今までたっくさん犬猫飼ってきたけど
こんな突然死みたいな亡くなり方したのは
初めてて
心の準備さえなにもできてなかったから
ショックがとてつもなくでかかった。
八つ当たりなのかもしれないけど
10歳以上まで生きたならいいじゃない。
ってペットロスの方に思ってしまう自分がいる。
わたしはたったの2ヶ月弱しか一緒に過ごせなかった。
わたしには子どもがいないから
生後2ヶ月の赤ん坊を亡くしたのと同じ感覚。
家に連れて帰ってきた時も
もう一緒にいれる時間は短いのに
辛くて辛くて見ていられなかった。
ひたすらベットに潜り込んでた。
でもティーちゃんのおかげて
当たり前にできてることは
全てが幸せであって奇跡なんだって
思えることもできた。
今日と同じ明日がくるなんて
実際はわからないんだなあ
って思ったよ。
もう犬なんて飼いたくないなんて思わないし
本当は今すぐにでも新しい子を迎え入れたい。
でも49日過ぎるまでは
わたしの目には見えないてぃーちゃんと
一緒に過ごそうと思うよ。
だから
いま動物を飼っていて
毎日朝起きれば
トコトコって来てくれるペットちゃんは
明日もトコトコって来てくれるわけじゃないんだ
って思いながら
1日 1日を大事に過ごして欲しいです。
わたしみたいに
後悔してほしくないから。
2021.03.22
3月20日午前一時、16歳で突然愛犬のパピヨンを亡くしました。
いま思えば少し食欲不振だったような気もしましたが、高齢だからかな?と思っていました。
3月19日金曜日、朝からほとんど餌を食べなくなり、食べムラかなーと思いつつ、いろんなペットフードを購入して与えてみても食べません。そうこうしているうちに夜なんだか、急に息苦しそうに、はあはあしています。いつも寝ているのに全然眠れずに立ったままうろちょろしています。時折やっと座ってめをつぶったかなーと思うとすぐめをあけます。
朝方まで時折体を撫でてあげて、様子をみて動物病院が空くのを待ってつれていきました。そこでいきなり先生に舌をみられチアノーゼがおきてて状態よくないねーと言われ肺水腫だねとのこと、入院になりました。帰宅後すぐに「心臓止まったのですぐにきてください」との電話、涙が止まりません。娘二人に連絡して病院にいくと、人工呼吸器に繋がれた愛犬がそこにいました。
あ、ちょっとお別れする時間をくれたんだなーって思いました。祝日だったので、私含め病院に数回面会にいき、夜に五分五分かなーと言われ帰宅しました。帰宅後、前の日寝ていない疲れがでて眠っていると夜中に病院からの電話、心臓が止まって亡くなったとのことでした。
家族で、動物病院にいき、家で数日一緒にいてから見送ろうとは思いましたが、みんなが揃っている日曜日にお別れしようと昨日見送ってきました。
愛犬のいない家はなんとなく寒ざむしく、急だったのでいまからどんどん寂しくなるとは思いますが、たくさんの思い出をくれてありがとうと感謝しつつ、毎日を過ごしていこうとおもいます。
16年弱の日々を楽しくしてくれてありがとう。
安らかに天国で過ごしてね。
2021.03.17
2021年3月16日、2時55分 柴犬(♂)げんきが、18歳で虹の橋を渡りました。
3月12日ごろから、自分からご飯を食べようとせず、ペロペロなめる程度。それでも、なんとか食べてくれましたが、13日の夜は食べずに水分だけ。14日はペロペロすることすらしなくなりシリンジで口の横から流し込む形で水分補給しました。15日、少しのポカリスエットをあげてみたら?と言われ家になかったのでDA・KA・RAをあげました。しっかり飲んでくれて、少し力がついたような気がしました。しかし、それから嘔吐し、スッキリしたのかスヤスヤ寝始めました。
16日に日付が変わったくらいに1度鳴いて、すぐ寝ました。それから2時半すぎ2回鳴いて、息づかいがゆっくりに。すぐ母を起こし私が見守る中、静かに息を引き取りました。みんなでキレイにしてあげて、その日1日、家族で代わる代わる抱っこして1日一緒に過ごしました。夜も、抱っこして寝ました。
そして17日、家から歩いて行ける、霊園にお願いして火葬、納骨していただきました。
私の中で17日、まるまるずっと一緒にいられたことが何よりの安らぎとなり、しっかりお別れを言うことができました。まだまだ、悲しみは癒えませんが、すぐ近くの霊園にいると思うと、いつでも会えるし。と前を向くことができそうです。寂しくて悲しくて たまりませんが、ツラい時は会いに行こうと思います。
2021.03.10
2021年1月19日火曜日午前3時前、こたろうが12歳8ヶ月で旅立ちました。1月15日金曜日の明け方、足元で寝ているこたろうの呼吸がいつもより早いことに気づき、翌日仕事に行くか迷いましたが、何かあったら後悔すると思い、仕事を休んで病院に行きました。血液検査をしてもらい、心臓に少し雑音が聴こえるとのことで、心臓の薬を飲むことになりました。薬も問題なく飲めたし、呼吸も落ち着いたようだったので、早く来て良かったと安心して帰りました。
翌日16日土曜日、血液検査の結果を聞きに行くと、心臓から出るホルモンの数値が異常に高いとのことでした。あまりに高くてびっくりしましたが、薬を飲み始めたのでこれから落ち着いてくるかなと思い、そこまで深刻にはとらえていませんでした。ただ、これからは、散歩の時間が長くなり過ぎないように気をつけてあげないといけないと思いました。心臓サポートのフードも注文しました。17日日曜日は普通に問題なく過ごし、18日月曜日は仕事に行きました。午後15時頃帰ってきて、いつものようにご飯をあげると、いつものように全部食べました。しばらくして、散歩に行き、普通にトコトコと歩きました。20分くらい歩いて、大好きなおやつをくれるお友達のマンションのところまで行きましたが、お友達には会えませんでした。帰りは大事をとって抱っこで帰ってきました。その後、18時半頃こたろうの呼吸が早いことに気付きました。病院は19時までなので、電話をしてタクシーで向かいました。先生に診ていただいたときには、かなり呼吸が荒くて苦しそうになっていました。入院設備のない病院なので、利尿剤を注射してもらい、明日の朝の分の利尿剤をもらって帰りました。おしっこが出れば、だいぶ呼吸が楽になるはずとのことでした。家に帰り、時間がたっても、こたろうの呼吸は不規則で荒いままでしたが、大量のおしっこが出ました。私は、酸素吸入器を注文出来ないかと調べたり、夜中に別の夜間救急に行った方がよいのかと調べたりしていました。11時半くらいに家族は寝ました。私はこたろうが心配だったので、起きていようと思っていました。こたろうはとても苦しそうで、もしかして今日危ないのかもしれないと思いました。1時半になる頃、横になれずに立っていたこたろうが、よりかかるようにして倒れました。私はびっくりして長女を起こし、こたろうが死んじゃいそうだと伝えました。次女も起こし、大阪に単身赴任している夫にもリモートで繋ぎました。すると驚いたことに、夫と次女の声を聞いた聞いたこたろうが、すくっと立ち上がり歩き出しました。気力で立ち上がったのだと思います。それから、家の中やベランダのいろいろな場所を歩き回り、午後食べたご飯を吐いてしまいました。最後は、みんなから少し離れたところに歩いて行き、踏ん張って立っていたのですが、崩れるように倒れてしまいました。みんなで近寄り、声をかけました。今までありがとう、大好きだよと繰り返し繰り返し言いました。こたろうは、何とか起き上がろうとして、3回顔をあげましたが、その度に床に顔をぶつけてしまいました。しばらく間があいて、もうダメなのかと思った時、もう一度顔をあげようとしましたが、もう少ししかあげることができるず、そのあとゆっくりと顔が横になりました。呼吸も静かになりました。まだ耳は聞こえていると思い、みんなで必死にありがとうと大好きだよと言いました。気づいたら3時でした。
こたろうは、最後まで生きようと頑張っていました。
日頃から、あまり検査や入院をさせるのは嫌だと思っていました。こたろうが小さい頃通っていた病院に、予防の検査を進められたり、すぐに血液検査をされたことを疑問を持っていました。
血液検査だけでも定期的にしてあげていたら、もっと早く気づいてあげられたのにという後悔はあります。でも、最後の日まで、ご飯を完食してくれて散歩にも行けて幸せでした。最後に亡くなった時、とても立派ないいウンチが出ていました。
今日で49日です。いろいろな楽しい思い出を沢山ありがとう、また会おうね。
2021.01.05
12歳と9ヶ月のチワックスを12月28日に亡くしました。
最後は、救急センターで、酸素室から出してもらい、ベッドの上で、一番大好きな場所である、首のあたりを撫でてあげ、耳元で、沢山沢山、ありがとう。頑張ったね。もういいよ。とずっと話しかけてあげれました。酸素室の中にいた時は、触ってあげれなかったのに、最後は、その分も。
もっと早く気が付いて、もっと早く治療してあげていれば、助かった命だったかもしれない。そんな後悔があります。そうしたらもう少し一緒にいられて、最後は苦しまないで逝けたかもしれないと。
とても利口な子でした。トイレに行きたい時は、ドアのところまで行き、見つめます。おやつの欲しい時は、おやつのある場所を見て、クーインと甘えます。散歩中は、絶対にトイレはしません。必ず家でしました。なので、何も持たないで散歩も出かける事ができました。
家族の大変な時期を一緒に乗り越えました。息子の不登校のお付き合い。主人の単身赴任でも、自宅を守って、また、大地震で家族が帰れない時も、自宅で待っていてくれました。
家族が揃って海外旅行に行った時、ホテルに迎えに行って帰ってきたら1週間、怒ってリビングには、入ってきませんでした。
私が仕事で忙しく、なかなか、時間がない事がわかっていたのか、年末年始のお休みに入るとともに、具合が悪くなり、3日で逝ってしまいました。
ありがとう。お母さんが行くまで、天国で遊んで待っててね。
2020.12.28
2020年12月25日ロングコートチワワの男の子が14歳と6ケ月で永眠しました。犬が大好きで、子供のいない夫婦のかけがえのない子でした。ペット博で他の子を選ぼうとしてた私に夫がこの子がいい!と言って決めたワンコでした。引き渡してくれた時、赤いリボンをしていたのが忘れられません。とてもおとなしい利口な子で人間が大好きでワンコなのに犬が苦手な子でした。病院の先生からこの子は自分を人間と思っているようだと言われたこともありました。珍しい毛色の為アレルギーがあり、病院にお世話になることが多かったけどいろんな所に一緒に出掛け楽しい日々を送りました。数年前から心臓が悪くなり薬を飲み始めました。薬を飲んでいながらでもわりに元気にいてくれました。病院の先生からも頑張ってるねと言われましたが、静かな夜には近くで寝ていると心臓の音がドクドクと聞こえ、いつか別れが来ることを思い知らされました。今年くらいから咳込むようになり、夏から少しでも楽になればと喘息用の機械を使い始めました。しかし心臓ではない他の所で具合が悪くなり頻繁に病院に行く事が多くなりました。最後の日は私がふと目を覚ますとお座りしている姿がみえ、いつもの咳込みで息が上がっている様子で、それが収まっても横に寝せようとしてもすぐ起き上がり横になるのを嫌がってました。今思うと寝たら永遠に起きれないと思っていたのかもしれません。朝ごはんは少し残しましたが、私達の朝食を欲しがりいつもの姿を見せていましたので、私は安心して出勤しました。会社に行ってすぐ、たまたま休みだった夫から倒れたので今から病院に連れて行くという大きな声で電話がありました。病院に行ってから先生が何本も注射を打って処置をしてくれたしたとのことでしたが戻って来てくれませんでした。悲しみが大きくて苦しくて投稿しました。戻って来て欲しいと願うばかりです。
2020.12.25
くろべェーは、黒柴(柴犬です)15年まえに、ペットショップで購入して、凄く賢い犬でした。
気づけば15歳になって、最近は、夜中に鳴いたり、狭い所に、頭を突っ込み出てこれなくなって、隣に家が建つので、夜中に鳴かせたら、アカンと言われて、動物病院に相談して、睡眠薬を貰い飲ませて、1日ちょっと寝て、起きれなかったら床ずれになって、それから、1ヶ月半ちょっと、くろべェーの介護が、始まりました。
歩けなくなって、床ずれの薬、食事など、くろは、オシッコやウンチは、気持ち悪いので。声を出して教えてくれました。起きて、自分でしたいのか動き回り、大変なときもありました。体は、起きれなくても前足を動かして、泳いでれみたいに、足は、血だらけなっても自分が気が済むまで、していました。
普段 仕事で、ずっと付いてあげれなかったけど、ケガは、ちゃんと消毒、薬を飲ませて、いたけど… 夜中に、救急車など、バイクの騒音などに反応して、鳴く事もありました。鳴くので、怒ってしまった事もありますが、外で飼育の為、暖かく毛布など、かけて色々としては、いたけど、寒さなど、やはり睡眠薬を飲ませてしまった。罪悪感が私の中で消えません。薬の量は、加減してたけど、ご飯を食べれなくなって、体力も奪われ、朝、いつもの薬 抗生剤、痛み止め飲ませて、暫くして、愛犬くろべェーは、旅立ちました。突然の別れに 受け止められなくて、くろべェーに恨まれてないか?悲しくて、どうしたら良いのか?わかりません。くろべェーが、天国にちゃんと連れて行ってもらえるか?心配です。
2020.11.29
クッキー11歳
私共家族のアイドル的存在
2女が子犬が欲しいと言う事で我が家にやってきました、
ヨーキー とチワワのミックス
お目々が大きく黒いお鼻と3つの黒い丸をあしらった様な可愛らしい顔にGOLDの全身の毛が美しいとても人懐っこい子でした!
この11年は私共家族にとっては娘2人の社会人としての旅立ちにて、
夫婦2人の生活となり、我が家の長男坊的な癒やしてくれる存在の
クッキーでありました、
私自身鬱病で1年間の闘病と自宅療養の時期にはクッキーの存在は大きくとても癒やされ立ち直りまで傍に居てくれる心強い相棒でありました、
娘2人が巣立って行った後私共夫婦を癒やしてくれる大切な家族でした、
しかし元来アレルギー持ちのクッキーは心臓肥大の持病が進行している11歳、
今回
お尻の腫瘍摘出の手術
前の石摘出と去勢をしましたがその時も心臓の負担を心配されましたが、成功し元気に帰りました、
今回も大丈夫だろうと、言い聞かせて降りましたが術後経過良好と言う一報に安心しておりましたが、
朝電話で訃報を告げられました、
受け入れ難い現実に、
只前日の様子を回想し、自分自身悔みきれずとても受け入れられず
涙が止まりません、
お利口さんで、食いしん坊なクッキーでしたが、
手術に伴い食事制限をし、手術に向かい
最後と看取れず、死んでいった相棒を思うと取り返しが付かない現実に絶望するしか無いのです、
私達家族の恩人
沢山の幸セや癒やしをくれたクッキー
駄目な飼い主でゴメンネ、
いつか自分もそっちに行った時に一緒にまた遊ぼうね
沢山オヤツや美味しい物食べようね。
うちの犬はゴールデンレトリバーのももです。12歳のおばあちゃんでした。前の日まで元気でいたのに朝から少し調子が悪そうでドッグフードを少し残しました。
いつも大好きな散歩も少し億劫そうにしていておかしいなって思ってましたが行くと少し遊んでいたので大丈夫そうにみえました。
でもやはり帰ると調子が悪そうに寝てしまって。よくある事ではあるので様子を見る事にしました。
すると吐く音がして見てみると少し朝のドッグフードを吐いていて
すぐに呼吸がおかしい、いつもと反応が違うのがわかり
祝日で空いている病院を見つけ連れて行きました。
でももう病院に着いた時には心臓が止まっていて蘇生してもらいましたが間に合いませんでした。
ほんの1時間の間の出来事で私はパニックになりました。
あれが良くなかったのか、これが良くなかったのか頭を巡らしましたが、もう死んでしまって動かないももちゃん。
私の人生のパートナーと言っても過言ではないももちゃん。
出来る限りの事をしてあげたいと思っています。
5日前に 16才と6ヶ月のダックスの娘が天国へ旅たちました 愛くるしい性格の娘です。
一年前から 体調が度々悪くなるのですが 何故か? すぐ元気になったように見えたので 突然 呼吸が苦しくなった時は おかあちゃんは どうしたらいいのか? かかりつけの病院に電話して すぐに連れて行ったのですが…まさか 2時間後に天国へ行ってしまうなんて。
肺水腫と 言われ 先生があまりにも 抱っこして上げて下さいと でも 昨日も散歩して 走ったのに おかあちゃんには病気を気付かれないように 心配かけないように 無理してたのね。
ごめんね こんなに 苦しかったのに。
ダメなおかあちゃんだね。
もう あなたなしでは おかあちゃんは生きて行けないよ。
毎日毎日 腕枕してた 腕がさびしい。
家にも帰りたくない…
あなたが 居ないから。
コロンは12年2ヶ月で亡くなりました。マルチーズの平均寿命より1年短いです。比べてはいけませんが、くやしいです。悲しいです。長期旅行を予定していたので、その前に、念の為と、連れていった病院で、「お別れの時間を大切に」と言われ、何の事だかわかりませんでした。のどにできたがんが原因です。散歩もするし、ごはんも食べましたが、食欲はあまりありませんでした。年だからと思って気にしていませんでした。それから、旅行をキャンセルし、毎日病院に連れて行きましたが、日に日に悪くなり6日後に亡くなりました。今でも信じられません。家族でお別れ会をして火葬しました。その2日後、親族が危篤になり葬儀まで4日間家を空けました。コロンの死と重なったら私達が困る事を知っていてあの日を選んで、もう逝くねといって死んだと思います。最後まで私達の事を思い死んでしまう日まで、選んでくれたと思うと今でも泣けてきます。小さな体で小さな頭で私達に迷惑をかけないように死にました。私は、迷惑をかけてもいいから、もっともっと長生きしてほしかったです。今でも毎日泣けてきます。まだどうしていいのかわかりません、でも死んでしまった悲しみより、楽しかった思い出と、コロンありがとうという気持ちを持って、私は毎日生きていこうと思っています。コロン本当に本当にありがとう。今でも大好きだよ。
二度目のお手紙です。マルチーズのコロンが病気で亡くなって今日で3か月です(4月26日に亡くなりました。)。長かったのか短かったのかよくわかりません。
朝起きてきてもコロンはいない。食事を作っていても「ちょうだい。」と来ない。家に帰ってきても窓からのぞいていない。
12年間当たり前だった生活はもうありません。なんどもなんども「これは夢だ、コロンがいないなんてことはあるはずがない。悪い夢を見ている。夢が覚めればコロンはいる。」と思いました。
でもやっぱりいないのです。悲しくてこの事実を受け入れることができず3週間ほどは泣き続けました。
その後、残っているフードやおやつをコロンの供養になると思い、犬の散歩友だち数人にもらってもらうことにしました。そのときやっと身内以外の人にコロンの話をすることができました。
「泣きたいだけ泣いてもいいよ。」と言われ、いっしょに泣いてくれました。話を聞いてもらううちに、これからは思い出のコロンになるんだなあと思うようになりました。
今でもふとしたことでコロンを思い、悲しくなります。でも写真のコロンは元気でうれしそうです。
写真になったコロンを見ながら「また時々、泣くけど心配しないで、何とかやっていくからね。今までありがとう。」と話しています。
我が家の癒し系アイドル ぺぺ(♀雑種)が旅立ってから早1ヶ月半。12歳9ヶ月でした。散歩から帰った途端、倒れて突然息を引き取りました。全く信じられない受け入れ難い日々が続きました。今でも「お散歩まだ?」とこっちを見つめている気がします。
「ペペと一緒に歩きたい」そんな思いが募り、毎朝慣れ親しんだ道を再び歩き始めました。ペペの首輪を持って。歩きながら瞼が熱くなることもありますが、それでも歩き続けます。
ペペへの思いを、うまいとは言えない文章で書き綴ってみたりもしました。
そして、こう思うことにしました。
ペペは、神様が「時がくるまで、大切に育ててくれ」と我が家に託した預かりものであり、お迎えが来たら、神様にお返しするもの。その時が来たのだと。たくさんの思い出を残して。
ペペは3ヶ月位の子犬の時、我が家に迷い込んできて家族になりました。平成13年3月9日のことでした。3月9日、サンキュー、ありがとう ペペ 「いつも心の中にいるからね」
はじめましてm(__)m 東京都世田谷区31歳主婦です。私は去年12月26日に愛犬の黒パグのクゥちゃん♀を突然亡くしました。まだ6歳でした…本当にまわりからも溺愛しすぎと言われるほど可愛がっていました。クゥちゃんは亡くなる二週間位前に右目を爪でひっかいてしまったのか怪我してしまい急いで掛かり付けだった(少し皮膚病で診てもらっていました)病院に連れていき目薬などで治療していました。
そして何日かして少し良くなってきたと私は思ってたのですが獣医に手術しようと言われてしまいました。私は手術しないとダメですか?と聞いたら、どんどん酷くなるよ!と言われ承諾しました。目の手術でも全身麻酔だったのでとても心配でした。そして手術当日の朝9時に気持ち良さそうに私の腕の中で寝ているクゥちゃんを起こしてクゥが大嫌いなあの病院に連れて行きました。そして着いたら女の助手がクゥをすぐ連れて行ってしまいました。私は六年間クゥちゃんとは娘の出産の時の四日間以外離れたことがないので、クゥも私の方を振り返り病院の玄関の扉ごしでなんで置いてくの?と悲しい顔をみたのが最後でした。
夕方5時獣医からクゥちゃんの心臓が止まってしまったと恐ろしい電話がありました。私が着いたころには元気だったクゥの姿はありませんでした。きっとクゥは朝私に置いてかれてから麻酔をされるまでの間とてもとても怖くて寂しくて悲しくて、何度も何度も私に助けてって言っていたのだと思うと本当に辛くてたまりません。
今もクゥの悲しい顔ばかり思い出してしまい毎日毎日泣いて苦しい日々を送っています。ちゃんとお葬式もしましたが、まだこの深い哀しみは癒えることがありません。娘も一歳ながらクゥを覚えていて写真をみては悲しい顔をします。だから娘が起きてるときはなるべく泣かないで居るのですが、娘が寝てしまうと、どうしてもクゥちゃんでいっぱいになり涙がとまりません。クゥは私達家族にしか懐きませんでした。散歩もあまり好きではなく他のわんことにも近づきませんでした。唯一、旦那の飼っている同じ黒パグのポーリー♂10歳だけは大丈夫でした。
そんなクゥちゃん。私にいつもくっついて寝ていたクゥちゃん。クゥは本当にお利口で優しい子でした。こんな いい子がなんで…とやっぱり自分を責めてしまいます。娘が産まれてからは娘の世話でなかなかクゥに構ってあげれませんでした。妊娠中は流産しかけていたため、妊娠期間中ずっと自宅安静でほとんど寝たきりだった私を毎日寄り添って元気づけてくれました。
今住んでる家は新築したばかりの一軒家なのですが、その病院の近くで、とても嫌でクゥとずっと暮らしてた実家に今は娘と居ます。旦那はたまにポーリーを連れ娘に会いに来てます、ずっとこのままでは居られないので、どうにかこの思いが少しでも癒えることができればと思います。こんな思いの私でもいつか新しく大好きな黒パグちゃんをまた迎えることができますでしょうか?長々と読んで頂きありがとうございます。
ゴールデンレトリバーのレオは13年間、家族全員の悩み相談相手でした。無口なレオは私たちの話を聞き、寄り添ってくれました。娘は不登校でしたのでいつも娘の遊び友達でもありました。
前日まで元気に走り回っていたのに・・翌日ぐったりして体を起こせなくなり、病院へ連れて行くもかなり悪い状態だと聞かされ愕然。翌朝早朝気づいたら息をしていませんでした。まだ、心臓が動いていたので「レオ、ありがとう!」と心臓が止まるまで家族全員で大きな声をかけ続けました。
それから、今日で49日。レオが亡くなった時間に毎日目が覚めます。 悲しみの闇の中でもがき苦しんでいました。 そんな時、ネットで拾った「空からきっと見守ってくれるから、今日も頑張る」の言葉。
これからもレオのことは一生絶対に忘れない。でも心の傷を癒してくれるのも、また新しい命。納骨を済ませた後、また新しいワンコを迎えようと思っています。
私は昨年11月19日にシーズ犬(エリザベス)との別れがありました。 50日目で私の手元に来て13年11ヶ月、生活をともにして、ずっといっしょで私の人生を支えてくれました。
思い出すといろいろなことがたくさんあります。この子との別れは考えられませんでした。 でもだんだんに老いてきて確実に別れが近づいてきたことを認識させられ・・・。 でも私はこの子がいなくなったらどうなるんだろうととても不安で不安でたまりませんでした。
現実となり私の手の中で息を引き取りました。 私は体の中から何かが抜けてしまい自分自身のことがよくわからず泣き続ける日が続きました。 何も手に付かず、ただあの子を思い出して泣くばかり。
でもあの子が帰ってくるわけでもないし立ち直らなければと思い、ならいごとやスポーツにも出かける努力をしています。 あの子の存在の大きさを改めて考えさせられています。
ベスに今は感謝しています。 ベスありがとう。 天国でとびはねて遊んでいることでしょうか。
(今はあの子との日々を思い出してあの子への手紙を書いたりして心を落ち着かせています。)
10年間、大事に飼ってきたわが家の犬 ジローを一ヶ月前に病気で亡くしました。
家族といっても、もう子供たちは独立し、夫も7年前に亡くなって、わたしにとっては遺されたたった一人の家族でした。最後は私の腕の中て、眠るように息をひきとりました。
それからというもの悲しさよりも喪失感で、眠ることもできないありさまでした。ただひとつ慰めになったのは、ご近所の犬の散歩ともだちが一緒に泣いてくれたことでしょうか。
ともに思い出を語れる人がいることは人間だったら沢山いることは考えられますが、ペットの場合はなかなかいません。
もちろんまだまだ立ち直れませんが、一人で悲しんでいるよりはずっと心強いきもちがします。
子供のいない私たち夫婦にとって愛犬の存在はなによりも大事な存在でした。
シェパードの雄、 シェルパがその名前です。職場でなにかいやなことがあっても、彼の顔をみればすべて吹っ飛びます。妻は妻で私に言いたい愚痴や不満も全部聞いてもらっていたようです。
なにもかもわかっているとでもいいたいように、テラスの椅子にすわる私のそばにねそべりながら、時々哲学者のように遠くをみつめていました。旅行に行くときも、できるだけいっしょに連れていってました。
そんなシェルパのいかにもだるそうな様子に気がついたのが6か月前です。すぐ病院に連れて行ったのですが、思いもかけない病気でした。
あらゆる手をつくしたのですが、だめでした
子供をなくした親はその痛みを一生忘れません。後悔ばかりしています。
そんなある日、友人から渡された一冊の本、スピリチュアルのことが書かれていました。
>それによるとあの世の世界にいったペットたちは次の生まれ変わりのために準備しているとのこと。
またいつかシェルパの生まれかわりが私たちのそばにきてくれるかもと思いながら、日々を過ごしています。
生後半年で、売れ残っていた柴犬をどうしても救いたかった。
あれから12年、旅行にもどこにも連れて行った。
2年前主人が自殺してしまい、あの仔はいつも私を支えてくれた。
柴犬なのに一ワンもしないいい仔だった。
悪性腫瘍になり足を切断する。その前に皮膚炎を直さないと、と獣医は他のことに気をとられながら愛情なく言った。
私は自分で最期まで面倒を見ると決めた。一年間病との戦いが徐々に始まっていった。本当にたいへんだったけど、散歩にも出られないあの仔のストレスも相当だった。
最期の前日、あの仔は玄関でそそうをしたまま、もう動けず、痙攣(けいれん)するばかりになるのをみた。
次の日、もう亡くなっているだろうと思った。でもあの仔は待っていてくれた。
必死で私の枕元まで来ていて、早朝4時ふと目を覚ますと息をしていた。
15分じっと見つめていた。そっとあの仔は逝った。
最期まで根性と精一杯の愛情をありがとう。
誇らしい愛犬。
この辛い気持ちはあの仔との絆。
きっと糧にして生きていこう。
先日愛犬くうが16歳9ヶ月で逝ってしまいました。 くうとの出会いは私が大学生の頃でした。 捨て犬がいたら飼おうと決めていた矢先、コンビニの前に犬が捨てられているという情報が入ってすぐにそのコンビニに向かうと、5~6匹の子犬が段ボールに。その中の一番のチビッ子の黒い子を連れて帰りました。
当時からやんちゃ具合が半端ない、暴れん坊でどれだけ悩まされたことでしょうか。くそ犬と叫んだことは数えきれませんでした。大きくなってからも。それでもひとりと一匹暮らしで支え合って生きていました。楽しいときも辛いときも一緒に。
私が就職して何度か転職してもいつも一緒にいました。助手席は定位置で暑くない時期や夜に出かけるときは、いつも車で一緒に連れて行きました。
ある時帰省するのに高速道路を走っていたら、私が警察にスピード違反で捕まってパトカーから戻ってくると、食べようと思っていたパンが食べられていたなんてこともあったりしました。食い意地がものすごくあり、車で出掛けたときには食べ物を買ったら必ず気を付けないと次のタイミングでは食べられているなんてことはしょっちゅうでした。
そんなくうも段々と食欲がなくなっていきました。亡くなる1年以上前からは食べさせるのに、いろいろと工夫しないとなかなか食べてくれませんでした。
けれども、少しずつ弱ってきてからは気性も丸くなってきて扱いやすくなり、甘えてくることが多くなりました。シニア犬になってから、面倒みるのが可愛かったし、頼ってくれるのがすごく嬉しかったのです。
私がもうだめかもと思ったことは3度ありました。その度にくうは復活してくれました。こいつは絶対しぶといやつだなと思っていたので、今回もきっと大丈夫、また食べれるようになると信じていました。
前の日まですごく調子いいなぁと思っていたのに。
しっかり食べていたし、外に連れていき日光浴もしていました。
急に血便になり、病院に行って点滴をしてもらいましたが、次の日の午前中、仕事に行っている間に亡くなってしまいました。
あとから飼っていたもう一匹の愛犬が一緒にいてくれたので、ひとりでなかったのは良かったと思っていますが、もう少し頑張ってくれるだろうと軽く思っていたので、すごくショックでした。
家に帰ってもくうがいないという現実、気にかける相手がいない、もっと面倒みたかったのに…。少しずつ現実を受け止めてはきていると思うのですが、やっぱり寂しくて悲しいです。
だって人生の半分近くを一緒に過ごしてきたんですから。
くうとの写真をたくさん現像して見返しました。どれも楽しい想い出ばかりです。こんなたくさんの想い出をくれたくうには感謝しないわけがありません。
だから、この想い出を忘れずに私はこれから生きていけると思い始めてきています。が、これからもう一匹の愛犬と二人きりで生きていくという覚悟をするのにはもう少し時間がかかりそうです。
2日前、愛犬の黒ラブラドールのラブが突然亡くなりました。9歳と9カ月でした。
突然、具合が悪くなり病院に連れて行き、そのまま入院しました。翌日の10時に病院にきてくださいとの事で、病院を後にしました。
翌日の9時に、痙攣を起こし呼吸が止まったと連絡が入り、すぐに病院に行きましたが意識もなく心臓も止まってました。
病院に預けた時に、起き上がれなかったのに、私が帰ろうとすると、ゆっくりと階段を登り出口にきました。多分、帰りたかったのでしょう。なんで、連れて帰らなかったのかと後悔しています。最後、看取ってやれなかった事が悔やんでも悔やんでも悔みきれません。
とても、人懐こい子でみんなに声をかけてもらってました。人から痛い思いをされた事もなかったので、誰にでも尻尾をふっていました。
食べる事、散歩が大好きでした。
あまりにも突然で、どうしたらいいのか考え気力もなく、何もする気になりません。
今日、火葬場に行ってきて今はラブがいた部屋に骨壷にいます。
誰が悪いわけでもないので、誰かを責めることもないです。責めてラブが戻ってくる事もありません。
ただ、ラブが私の周りにいつも寄り添うように寝ていたんです。そのラブがいなくなった事が、まだ信じられません。
家族のみんなは、いっぱいの愛情をそそいであげたので幸せだったよ。と言ってくれてます。
現実を受け入れてはいますが、哀しみは癒えません。
時間が解決してくれると思いますが、いつになるか。
自分で乗り越えるしかないんですね。
昨日、8月9日の朝8時、入院先の動物病院から電話があり、マルチーズの「ピノ」が亡くなりました。13才でした。
犬を飼ったことがない私がペットショップで一目惚れして家族になったピノ。
仕事から帰宅すると部屋はおしっこ・ウンチだらけだったり、ティッシュの海だったこともしばしば、本当に悪い子でした。
それから1年後、公園で拾ってきた仔猫「チィ」、2年後に動物病院から引き取った仔猫「マリ」にかかりきりで、ピノには寂しい思いをさせました。
ピノは元々皮膚が弱く、膿皮病の抗生物質と痒み止めの薬が欠かせませんでした。
薬漬けにしなければもう少し永く生きられたのかもしれない…。
腎不全で入院し4日目、亡くなる前の日の夜、入院中のピノに面会に行きだっこした時、ピノが涙を流したんです。
今思うとピノは「もう頑張ることができないよ。パパ!家に帰りたいよ。」と、訴えてたのかもしれません。
ピノの気持ちに気づいてあげられず、最期を看取ってあげられなかった私はパパ失格だと悔やんで悔やんで…哀しみが止まりません。
その日のお昼に家族葬をし、ピノの遺骨を家に持ち帰ってきました。でもまだ実感がなくペットロス真っ最中です。
苦しまずに息を引き取ったっと医師から聞いて、ほんの少しだけ救われた気持ちになりましたがやはり最期は看取ってあげたかったです。
昨日、我が家の黒ラブ フレディーが亡くなりました。虐待犬だった彼を引き取って13年と2か月も経っていたんだと知りました。
ボコボコに殴られ続けタバコで焼かれていたという彼のそれまでの生活を忘れてほしいと願い可愛がってきました。つらい経験を生き抜いた彼は、つまらないことで落ち込む私をいいさ、いいさ。人生捨てたもんじゃないさ。と言わんばかりの目でいつもそばに寄り添ってくれました。フレディーが亡くなる前日から夫は家じゅうに掃除機をかけて彼の毛を掃除しました。亡くなってからは出来ないと。
今朝になって目にするブラシやタオルに残った彼の毛や香りに私たちはただ涙するのみです。彼に感謝するばかりでもうこれ以上彼に甘えることも甘えさせて上げることもできないなんて。カレンダーを見ながら先週の今頃は。3日前のこの時間ですら彼と触れ合うことができていたのにと時間の流れを戻したい思いです。フレディー、君と別れたくないよ 。
もうすぐ四十九日をむかえます・・・。
あと、2週間で15歳の誕生日でした。
若くして亡くなったわけじゃない。
長生きの方だったと思います。
亡くなる二か月前から心臓が悪くなり徐々に
弱っていったので、この日を覚悟できていました。
自分のできることを一生懸命にやったと思うので
介護や看病の後悔も不思議とありません。
最期を看取ることも出来ました。
ある意味、理想的なお別れだったと思います。
でも・・・
トムがここにいない・・もうここにはいない。
その現 実が・・哀しく苦しいのです・・・
何をしていても涙が出ます。
骨壺を抱きしめて泣きます。
丁度、母の介護と自分の病気と愛犬の介護が重なり、正直辛かったです。
特にここ半年間は、食も細くなり夜鳴きもひどく寝てくれないので
私の精神や体力も限界に感じていました。
そんな日々の中、トムは旅立ってしまいました。
トムは・・・私の体を気遣って亡くなったと思うのです。
「ボクのことは、もういいよ。苦労しないでいいよ」って
「でも、ボクのこと忘れないで、ずっと忘れないで」って・・・
だから・・私の誕生日の日に、私のいつも座っているパソコンの前まで
行って倒れ最期を迎えたのだと思います。
この日を自身で選んだのだと思いました。
この事で、私の哀しみはより深いものとなりました。
涙が枯れる ことはありません・・・。
だけど、ある日ネットで虹の橋の“雨降り地区”のお話を読んで、
私が、ずっと泣いていると、このコは冷たい雨に打たれて
寒く悲しい思いをしているのだと知りました。
それから、あまり泣いてばかりいてはいけないなと
思うようになりました。
分骨をして一緒にいようと決めました。
小さなカプセルを購入し、小さな遺骨を納めました。
色んな意見があり、迷いましたが自分が納得する方法を選びました。
こんなにも自分が打ちひしがれるとは想像ができませんでした。
でも・・・それだけ愛していたのだと今は思っています。
そして、私の誕生日を選んで旅立ったトムに強い絆を感じています。
この一年数か月の間に我が家では、たて続きに三匹の犬と猫が亡くなってしまいました。キャバリアの瑠那(るな・8歳メス)と、雑種の猫の麗(うるは・17歳オス)と、井宿(ちちり・22歳メス)です。しかしながら、飼い主である私の母や妹は所謂ペットロスには陥らず、この三匹と一緒に生活出来た事へ感謝を抱いています。
我が家では自宅に神棚を祀り日々の感謝をしながら生活していますが、その事も大きかったのでは無いかと思います。特に母は三匹が亡くなって、「みんな、神様のお使いさんになった」と思っている様です。
稲荷神社のお狐様が一番わかりやすいかと思いますが、日本の神様には神様のお使いである「神使(しんし)」と言う動物達が居ます。母はその神使になぞらえ、亡くなった三匹が我が家の守り神である神棚の神様のお使いさんになったのだと考え、三匹たちが今度は私ども家族を守って下さると思っている様です。母の愛読書が「ぎんぎつね(落合さより著)」と言う漫画なのも、切っ掛けとしては大きそうです。
私自身、神職として神社に仕えている身ではありますが、母のこの考え方はとても日本人らしい考え方では無いかと思うのです。この国は、自然にある岩や木、山や海など全ての物に神々が宿ると言う考えがあります。その素晴らしい考え方の延長線からからでしょう。とても前向きな母に私は脱帽するばかりです。
亡くなってはしまいましたが、三匹たちの御霊も含めた我が家の生活は延々とこれからも続きます。
さよならの合図 ペットロスから再び笑顔を取り戻すまでの90日間
ペットロスは「克服」しなくていい!
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ペットロスから立ち直りたいあなたへ
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