ペット・ロス体験記〜犬

ペットロス

ペットとの別れ、
そして死を体験したあなたへ
ワンちゃんを亡くされた方のお話を掲載しています。

愛知県小牧市 59歳主婦

コロンは12年2ヶ月で亡くなりました。マルチーズの平均寿命より1年短いです。比べてはいけませんが、くやしいです。悲しいです。長期旅行を予定していたので、その前に、念の為と、連れていった病院で、「お別れの時間を大切に」と言われ、何の事だかわかりませんでした。のどにできたがんが原因です。散歩もするし、ごはんも食べましたが、食欲はあまりありませんでした。年だからと思って気にしていませんでした。それから、旅行をキャンセルし、毎日病院に連れて行きましたが、日に日に悪くなり6日後に亡くなりました。今でも信じられません。家族でお別れ会をして火葬しました。その2日後、親族が危篤になり葬儀まで4日間家を空けました。コロンの死と重なったら私達が困る事を知っていてあの日を選んで、もう逝くねといって死んだと思います。最後まで私達の事を思い死んでしまう日まで、選んでくれたと思うと今でも泣けてきます。小さな体で小さな頭で私達に迷惑をかけないように死にました。私は、迷惑をかけてもいいから、もっともっと長生きしてほしかったです。今でも毎日泣けてきます。まだどうしていいのかわかりません、でも死んでしまった悲しみより、楽しかった思い出と、コロンありがとうという気持ちを持って、私は毎日生きていこうと思っています。コロン本当に本当にありがとう。今でも大好きだよ。

2回目の手紙

二度目のお手紙です。マルチーズのコロンが病気で亡くなって今日で3か月です(4月26日に亡くなりました。)。長かったのか短かったのかよくわかりません。
朝起きてきてもコロンはいない。食事を作っていても「ちょうだい。」と来ない。家に帰ってきても窓からのぞいていない。
12年間当たり前だった生活はもうありません。なんどもなんども「これは夢だ、コロンがいないなんてことはあるはずがない。悪い夢を見ている。夢が覚めればコロンはいる。」と思いました。
でもやっぱりいないのです。悲しくてこの事実を受け入れることができず3週間ほどは泣き続けました。
その後、残っているフードやおやつをコロンの供養になると思い、犬の散歩友だち数人にもらってもらうことにしました。そのときやっと身内以外の人にコロンの話をすることができました。
「泣きたいだけ泣いてもいいよ。」と言われ、いっしょに泣いてくれました。話を聞いてもらううちに、これからは思い出のコロンになるんだなあと思うようになりました。
今でもふとしたことでコロンを思い、悲しくなります。でも写真のコロンは元気でうれしそうです。
写真になったコロンを見ながら「また時々、泣くけど心配しないで、何とかやっていくからね。今までありがとう。」と話しています。

茨城県下妻市 主婦 52歳

我が家の癒し系アイドル ぺぺ(♀雑種)が旅立ってから早1ヶ月半。12歳9ヶ月でした。散歩から帰った途端、倒れて突然息を引き取りました。全く信じられない受け入れ難い日々が続きました。今でも「お散歩まだ?」とこっちを見つめている気がします。

「ペペと一緒に歩きたい」そんな思いが募り、毎朝慣れ親しんだ道を再び歩き始めました。ペペの首輪を持って。歩きながら瞼が熱くなることもありますが、それでも歩き続けます。

ペペへの思いを、うまいとは言えない文章で書き綴ってみたりもしました。

そして、こう思うことにしました。

ペペは、神様が「時がくるまで、大切に育ててくれ」と我が家に託した預かりものであり、お迎えが来たら、神様にお返しするもの。その時が来たのだと。たくさんの思い出を残して。

ペペは3ヶ月位の子犬の時、我が家に迷い込んできて家族になりました。平成13年3月9日のことでした。3月9日、サンキュー、ありがとう ペペ 「いつも心の中にいるからね」

東京都世田谷区 女性 31歳

はじめましてm(__)m 東京都世田谷区31歳主婦です。私は去年12月26日に愛犬の黒パグのクゥちゃん♀を突然亡くしました。まだ6歳でした…本当にまわりからも溺愛しすぎと言われるほど可愛がっていました。クゥちゃんは亡くなる二週間位前に右目を爪でひっかいてしまったのか怪我してしまい急いで掛かり付けだった(少し皮膚病で診てもらっていました)病院に連れていき目薬などで治療していました。

そして何日かして少し良くなってきたと私は思ってたのですが獣医に手術しようと言われてしまいました。私は手術しないとダメですか?と聞いたら、どんどん酷くなるよ!と言われ承諾しました。目の手術でも全身麻酔だったのでとても心配でした。そして手術当日の朝9時に気持ち良さそうに私の腕の中で寝ているクゥちゃんを起こしてクゥが大嫌いなあの病院に連れて行きました。そして着いたら女の助手がクゥをすぐ連れて行ってしまいました。私は六年間クゥちゃんとは娘の出産の時の四日間以外離れたことがないので、クゥも私の方を振り返り病院の玄関の扉ごしでなんで置いてくの?と悲しい顔をみたのが最後でした。

夕方5時獣医からクゥちゃんの心臓が止まってしまったと恐ろしい電話がありました。私が着いたころには元気だったクゥの姿はありませんでした。きっとクゥは朝私に置いてかれてから麻酔をされるまでの間とてもとても怖くて寂しくて悲しくて、何度も何度も私に助けてって言っていたのだと思うと本当に辛くてたまりません。

今もクゥの悲しい顔ばかり思い出してしまい毎日毎日泣いて苦しい日々を送っています。ちゃんとお葬式もしましたが、まだこの深い哀しみは癒えることがありません。娘も一歳ながらクゥを覚えていて写真をみては悲しい顔をします。だから娘が起きてるときはなるべく泣かないで居るのですが、娘が寝てしまうと、どうしてもクゥちゃんでいっぱいになり涙がとまりません。クゥは私達家族にしか懐きませんでした。散歩もあまり好きではなく他のわんことにも近づきませんでした。唯一、旦那の飼っている同じ黒パグのポーリー♂10歳だけは大丈夫でした。

そんなクゥちゃん。私にいつもくっついて寝ていたクゥちゃん。クゥは本当にお利口で優しい子でした。こんな いい子がなんで…とやっぱり自分を責めてしまいます。娘が産まれてからは娘の世話でなかなかクゥに構ってあげれませんでした。妊娠中は流産しかけていたため、妊娠期間中ずっと自宅安静でほとんど寝たきりだった私を毎日寄り添って元気づけてくれました。

今住んでる家は新築したばかりの一軒家なのですが、その病院の近くで、とても嫌でクゥとずっと暮らしてた実家に今は娘と居ます。旦那はたまにポーリーを連れ娘に会いに来てます、ずっとこのままでは居られないので、どうにかこの思いが少しでも癒えることができればと思います。こんな思いの私でもいつか新しく大好きな黒パグちゃんをまた迎えることができますでしょうか?長々と読んで頂きありがとうございます。

静岡県浜松市 女性 会社員

ゴールデンレトリバーのレオは13年間、家族全員の悩み相談相手でした。無口なレオは私たちの話を聞き、寄り添ってくれました。娘は不登校でしたのでいつも娘の遊び友達でもありました。

前日まで元気に走り回っていたのに・・翌日ぐったりして体を起こせなくなり、病院へ連れて行くもかなり悪い状態だと聞かされ愕然。翌朝早朝気づいたら息をしていませんでした。まだ、心臓が動いていたので「レオ、ありがとう!」と心臓が止まるまで家族全員で大きな声をかけ続けました。

それから、今日で49日。レオが亡くなった時間に毎日目が覚めます。
悲しみの闇の中でもがき苦しんでいました。
そんな時、ネットで拾った「空からきっと見守ってくれるから、今日も頑張る」の言葉。

これからもレオのことは一生絶対に忘れない。でも心の傷を癒してくれるのも、また新しい命。納骨を済ませた後、また新しいワンコを迎えようと思っています。

愛知県犬山市 女性 59歳

私は昨年11月19日にシーズ犬(エリザベス)との別れがありました。
50日目で私の手元に来て13年11ヶ月、生活をともにして、ずっといっしょで私の人生を支えてくれました。

思い出すといろいろなことがたくさんあります。この子との別れは考えられませんでした。
でもだんだんに老いてきて確実に別れが近づいてきたことを認識させられ・・・。
でも私はこの子がいなくなったらどうなるんだろうととても不安で不安でたまりませんでした。

現実となり私の手の中で息を引き取りました。
私は体の中から何かが抜けてしまい自分自身のことがよくわからず泣き続ける日が続きました。
何も手に付かず、ただあの子を思い出して泣くばかり。

でもあの子が帰ってくるわけでもないし立ち直らなければと思い、ならいごとやスポーツにも出かける努力をしています。
あの子の存在の大きさを改めて考えさせられています。

ベスに今は感謝しています。
ベスありがとう。
天国でとびはねて遊んでいることでしょうか。

(今はあの子との日々を思い出してあの子への手紙を書いたりして心を落ち着かせています。)

千葉市 女性 70歳

10年間、大事に飼ってきたわが家の犬 ジローを一ヶ月前に病気で亡くしました。

家族といっても、もう子供たちは独立し、夫も7年前に亡くなって、わたしにとっては遺されたたった一人の家族でした。最後は私の腕の中て、眠るように息をひきとりました。

それからというもの悲しさよりも喪失感で、眠ることもできないありさまでした。ただひとつ慰めになったのは、ご近所の犬の散歩ともだちが一緒に泣いてくれたことでしょうか。

ともに思い出を語れる人がいることは人間だったら沢山いることは考えられますが、ペットの場合はなかなかいません。

もちろんまだまだ立ち直れませんが、一人で悲しんでいるよりはずっと心強いきもちがします。

横浜市 男性 58歳

子供のいない私たち夫婦にとって愛犬の存在はなによりも大事な存在でした。

シェパードの雄、 シェルパがその名前です。職場でなにかいやなことがあっても、彼の顔をみればすべて吹っ飛びます。妻は妻で私に言いたい愚痴や不満も全部聞いてもらっていたようです。 

なにもかもわかっているとでもいいたいように、テラスの椅子にすわる私のそばにねそべりながら、時々哲学者のように遠くをみつめていました。旅行に行くときも、できるだけいっしょに連れていってました。

そんなシェルパのいかにもだるそうな様子に気がついたのが6か月前です。すぐ病院に連れて行ったのですが、思いもかけない病気でした。

あらゆる手をつくしたのですが、だめでした。

子供をなくした親はその痛みを一生忘れません。後悔ばかりしています。

そんなある日、友人から渡された一冊の本、スピリチュアルのことが書かれていました。

それによるとあの世の世界にいったペットたちは次の生まれ変わりのために準備しているとのこと。

またいつかシェルパの生まれかわりが私たちのそばにきてくれるかもと思いながら、日々を過ごしています。 

徳島県徳島市 女性 自由業

生後半年で、売れ残っていた柴犬をどうしても救いたかった。
あれから12年、旅行にもどこにも連れて行った。

2年前主人が自殺してしまい、あの仔はいつも私を支えてくれた。
柴犬なのに一ワンもしないいい仔だった。

悪性腫瘍になり足を切断する。その前に皮膚炎を直さないと、と獣医は他のことに気をとられながら愛情なく言った。

私は自分で最期まで面倒を見ると決めた。一年間病との戦いが徐々に始まっていった。本当にたいへんだったけど、散歩にも出られないあの仔のストレスも相当だった。

最期の前日、あの仔は玄関でそそうをしたまま、もう動けず、痙攣(けいれん)するばかりになるのをみた。

次の日、もう亡くなっているだろうと思った。でもあの仔は待っていてくれた。
必死で私の枕元まで来ていて、早朝4時ふと目を覚ますと息をしていた。
15分じっと見つめていた。そっとあの仔は逝った。

最期まで根性と精一杯の愛情をありがとう。
誇らしい愛犬。

この辛い気持ちはあの仔との絆。
きっと糧にして生きていこう。

北海道上川郡 女性 会社員

先日愛犬くうが16歳9ヶ月で逝ってしまいました。
くうとの出会いは私が大学生の頃でした。
捨て犬がいたら飼おうと決めていた矢先、コンビニの前に犬が捨てられているという情報が入ってすぐにそのコンビニに向かうと、5〜6匹の子犬が段ボールに。その中の一番のチビッ子の黒い子を連れて帰りました。

当時からやんちゃ具合が半端ない、暴れん坊でどれだけ悩まされたことでしょうか。くそ犬と叫んだことは数えきれませんでした。大きくなってからも。それでもひとりと一匹暮らしで支え合って生きていました。楽しいときも辛いときも一緒に。

私が就職して何度か転職してもいつも一緒にいました。助手席は定位置で暑くない時期や夜に出かけるときは、いつも車で一緒に連れて行きました。

ある時帰省するのに高速道路を走っていたら、私が警察にスピード違反で捕まってパトカーから戻ってくると、食べようと思っていたパンが食べられていたなんてこともあったりしました。食い意地がものすごくあり、車で出掛けたときには食べ物を買ったら必ず気を付けないと次のタイミングでは食べられているなんてことはしょっちゅうでした。

そんなくうも段々と食欲がなくなっていきました。亡くなる1年以上前からは食べさせるのに、いろいろと工夫しないとなかなか食べてくれませんでした。

けれども、少しずつ弱ってきてからは気性も丸くなってきて扱いやすくなり、甘えてくることが多くなりました。シニア犬になってから、面倒みるのが可愛かったし、頼ってくれるのがすごく嬉しかったのです。

私がもうだめかもと思ったことは3度ありました。その度にくうは復活してくれました。こいつは絶対しぶといやつだなと思っていたので、今回もきっと大丈夫、また食べれるようになると信じていました。

前の日まですごく調子いいなぁと思っていたのに。
しっかり食べていたし、外に連れていき日光浴もしていました。

急に血便になり、病院に行って点滴をしてもらいましたが、次の日の午前中、仕事に行っている間に亡くなってしまいました。

あとから飼っていたもう一匹の愛犬が一緒にいてくれたので、ひとりでなかったのは良かったと思っていますが、もう少し頑張ってくれるだろうと軽く思っていたので、すごくショックでした。

家に帰ってもくうがいないという現実、気にかける相手がいない、もっと面倒みたかったのに…。少しずつ現実を受け止めてはきていると思うのですが、やっぱり寂しくて悲しいです。
だって人生の半分近くを一緒に過ごしてきたんですから。

くうとの写真をたくさん現像して見返しました。どれも楽しい想い出ばかりです。こんなたくさんの想い出をくれたくうには感謝しないわけがありません。

だから、この想い出を忘れずに私はこれから生きていけると思い始めてきています。が、これからもう一匹の愛犬と二人きりで生きていくという覚悟をするのにはもう少し時間がかかりそうです。

京都市伏見区 52歳 会社員

2日前、愛犬の黒ラブラドールのラブが突然亡くなりました。9歳と9カ月でした。
突然、具合が悪くなり病院に連れて行き、そのまま入院しました。翌日の10時に病院にきてくださいとの事で、病院を後にしました。
翌日の9時に、痙攣を起こし呼吸が止まったと連絡が入り、すぐに病院に行きましたが意識もなく心臓も止まってました。
病院に預けた時に、起き上がれなかったのに、私が帰ろうとすると、ゆっくりと階段を登り出口にきました。多分、帰りたかったのでしょう。なんで、連れて帰らなかったのかと後悔しています。最後、看取ってやれなかった事が悔やんでも悔やんでも悔みきれません。

とても、人懐こい子でみんなに声をかけてもらってました。人から痛い思いをされた事もなかったので、誰にでも尻尾をふっていました。
食べる事、散歩が大好きでした。

あまりにも突然で、どうしたらいいのか考え気力もなく、何もする気になりません。

今日、火葬場に行ってきて今はラブがいた部屋に骨壷にいます。

誰が悪いわけでもないので、誰かを責めることもないです。責めてラブが戻ってくる事もありません。
ただ、ラブが私の周りにいつも寄り添うように寝ていたんです。そのラブがいなくなった事が、まだ信じられません。

家族のみんなは、いっぱいの愛情をそそいであげたので幸せだったよ。と言ってくれてます。

現実を受け入れてはいますが、哀しみは癒えません。
時間が解決してくれると思いますが、いつになるか。
自分で乗り越えるしかないんですね。

愛知県岡崎市 男性 会社員

昨日、8月9日の朝8時、入院先の動物病院から電話があり、マルチーズの「ピノ」が亡くなりました。13才でした。
犬を飼ったことがない私がペットショップで一目惚れして家族になったピノ。
仕事から帰宅すると部屋はおしっこ・ウンチだらけだったり、ティッシュの海だったこともしばしば、本当に悪い子でした。
それから1年後、公園で拾ってきた仔猫「チィ」、2年後に動物病院から引き取った仔猫「マリ」にかかりきりで、ピノには寂しい思いをさせました。
ピノは元々皮膚が弱く、膿皮病の抗生物質と痒み止めの薬が欠かせませんでした。
薬漬けにしなければもう少し永く生きられたのかもしれない…。
腎不全で入院し4日目、亡くなる前の日の夜、入院中のピノに面会に行きだっこした時、ピノが涙を流したんです。
今思うとピノは「もう頑張ることができないよ。パパ!家に帰りたいよ。」と、訴えてたのかもしれません。
ピノの気持ちに気づいてあげられず、最期を看取ってあげられなかった私はパパ失格だと悔やんで悔やんで…哀しみが止まりません。
その日のお昼に家族葬をし、ピノの遺骨を家に持ち帰ってきました。でもまだ実感がなくペットロス真っ最中です。
苦しまずに息を引き取ったっと医師から聞いて、ほんの少しだけ救われた気持ちになりましたがやはり最期は看取ってあげたかったです。

北海道千歳市 女性 パート

昨日、我が家の黒ラブ フレディーが亡くなりました。虐待犬だった彼を引き取って13年と2か月も経っていたんだと知りました。
ボコボコに殴られ続けタバコで焼かれていたという彼のそれまでの生活を忘れてほしいと願い可愛がってきました。つらい経験を生き抜いた彼は、つまらないことで落ち込む私をいいさ、いいさ。人生捨てたもんじゃないさ。と言わんばかりの目でいつもそばに寄り添ってくれました。フレディーが亡くなる前日から夫は家じゅうに掃除機をかけて彼の毛を掃除しました。亡くなってからは出来ないと。
今朝になって目にするブラシやタオルに残った彼の毛や香りに私たちはただ涙するのみです。彼に感謝するばかりでもうこれ以上彼に甘えることも甘えさせて上げることもできないなんて。カレンダーを見ながら先週の今頃は。3日前のこの時間ですら彼と触れ合うことができていたのにと時間の流れを戻したい思いです。フレディー、君と別れたくないよ 。

広島県広島市 女性

もうすぐ四十九日をむかえます・・・。
あと、2週間で15歳の誕生日でした。

若くして亡くなったわけじゃない。
長生きの方だったと思います。
亡くなる二か月前から心臓が悪くなり徐々に
弱っていったので、この日を覚悟できていました。
自分のできることを一生懸命にやったと思うので
介護や看病の後悔も不思議とありません。
最期を看取ることも出来ました。
ある意味、理想的なお別れだったと思います。

でも・・・
トムがここにいない・・もうここにはいない。
その現 実が・・哀しく苦しいのです・・・
何をしていても涙が出ます。
骨壺を抱きしめて泣きます。

丁度、母の介護と自分の病気と愛犬の介護が重なり、正直辛かったです。
特にここ半年間は、食も細くなり夜鳴きもひどく寝てくれないので
私の精神や体力も限界に感じていました。
そんな日々の中、トムは旅立ってしまいました。

トムは・・・私の体を気遣って亡くなったと思うのです。
「ボクのことは、もういいよ。苦労しないでいいよ」って
「でも、ボクのこと忘れないで、ずっと忘れないで」って・・・
だから・・私の誕生日の日に、私のいつも座っているパソコンの前まで
行って倒れ最期を迎えたのだと思います。
この日を自身で選んだのだと思いました。

この事で、私の哀しみはより深いものとなりました。
涙が枯れる ことはありません・・・。

だけど、ある日ネットで虹の橋の“雨降り地区”のお話を読んで、
私が、ずっと泣いていると、このコは冷たい雨に打たれて
寒く悲しい思いをしているのだと知りました。
それから、あまり泣いてばかりいてはいけないなと
思うようになりました。

分骨をして一緒にいようと決めました。
小さなカプセルを購入し、小さな遺骨を納めました。
色んな意見があり、迷いましたが自分が納得する方法を選びました。

こんなにも自分が打ちひしがれるとは想像ができませんでした。
でも・・・それだけ愛していたのだと今は思っています。
そして、私の誕生日を選んで旅立ったトムに強い絆を感じています。

神奈川県足柄上郡 神職 33歳

この一年数か月の間に我が家では、たて続きに三匹の犬と猫が亡くなってしまいました。キャバリアの瑠那(るな・8歳メス)と、雑種の猫の麗(うるは・17歳オス)と、井宿(ちちり・22歳メス)です。しかしながら、飼い主である私の母や妹は所謂ペットロスには陥らず、この三匹と一緒に生活出来た事へ感謝を抱いています。

我が家では自宅に神棚を祀り日々の感謝をしながら生活していますが、その事も大きかったのでは無いかと思います。特に母は三匹が亡くなって、「みんな、神様のお使いさんになった」と思っている様です。

稲荷神社のお狐様が一番わかりやすいかと思いますが、日本の神様には神様のお使いである「神使(しんし)」と言う動物達が居ます。母はその神使になぞらえ、亡くなった三匹が我が家の守り神である神棚の神様のお使いさんになったのだと考え、三匹たちが今度は私ども家族を守って下さると思っている様です。母の愛読書が「ぎんぎつね(落合さより著)」と言う漫画なのも、切っ掛けとしては大きそうです。

私自身、神職として神社に仕えている身ではありますが、母のこの考え方はとても日本人らしい考え方では無いかと思うのです。この国は、自然にある岩や木、山や海など全ての物に神々が宿ると言う考えがあります。その素晴らしい考え方の延長線からからでしょう。とても前向きな母に私は脱帽するばかりです。

亡くなってはしまいましたが、三匹たちの御霊も含めた我が家の生活は延々とこれからも続きます。

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