ペットロスの体験記02
ペットを亡くされた方のお話を掲載

東京都足立区 女性 主婦

昨日、茶々丸一歳になって2日目の朝、息を引き取りました。
私たちが起きたときには、もう既に冷たくなってました。
まだ一歳という早すぎる死に現実を受け入れられず、ただただ泣いています。
心の中にぽっかりと穴があいてしまったように。

前日まで、いたっていつも通り普通に元気に過ごしていました。
最近、鼻血を出すことが多く病院にもかかっていましたが大きな病気でなく鼻炎だろうということで様子見でした。
おとといも、鼻血を出し尻尾や体に血が固まっていたのでお風呂に入れてあげたのです。
そのお風呂がいけなかったのか?それとも、病気があったのか?お風呂に入れなければよかったのか?鼻血が出たときすぐ病院へ連れて行ってれば。などなど…
夜も眠れず後悔のループから抜け出せないでいます。

主人には、凄くなついていた茶々丸。
最近は、私にもなつきはじめててきて甘えて膝に乗ってくることも多くなってきてとても愛くるしかった。
子供達も茶々丸が大好きで、一歳になる下の子はちゃちゃ~とよく一緒にいました。
今朝も、煮干しをもってちゃちゃ~とゲージの前に走って持って行ってました。
昨日、茶々丸の亡骸のまえで、いつものように撫でてちゃちゃ~と声をかけている娘をみると、また涙がとまりませんでした。

ムービーや写真をみて、もっと遊んであげればよかったなぁと走馬灯のように、茶々丸が頭の中で蘇り涙がでます。
何も手につかず、夜も眠れない、ご飯も食べれない、涙がふとした時止まらなくなるこれがペットロスというのですね。
いつになったら、この悲しみからでれるのか。
茶々丸会いたいよ。

北海道上川郡 女性 会社員

先日愛犬くうが16歳9ヶ月で逝ってしまいました。 くうとの出会いは私が大学生の頃でした。 捨て犬がいたら飼おうと決めていた矢先、コンビニの前に犬が捨てられているという情報が入ってすぐにそのコンビニに向かうと、5~6匹の子犬が段ボールに。その中の一番のチビッ子の黒い子を連れて帰りました。

当時からやんちゃ具合が半端ない、暴れん坊でどれだけ悩まされたことでしょうか。くそ犬と叫んだことは数えきれませんでした。大きくなってからも。それでもひとりと一匹暮らしで支え合って生きていました。楽しいときも辛いときも一緒に。

私が就職して何度か転職してもいつも一緒にいました。助手席は定位置で暑くない時期や夜に出かけるときは、いつも車で一緒に連れて行きました。

ある時帰省するのに高速道路を走っていたら、私が警察にスピード違反で捕まってパトカーから戻ってくると、食べようと思っていたパンが食べられていたなんてこともあったりしました。食い意地がものすごくあり、車で出掛けたときには食べ物を買ったら必ず気を付けないと次のタイミングでは食べられているなんてことはしょっちゅうでした。

そんなくうも段々と食欲がなくなっていきました。亡くなる1年以上前からは食べさせるのに、いろいろと工夫しないとなかなか食べてくれませんでした。

けれども、少しずつ弱ってきてからは気性も丸くなってきて扱いやすくなり、甘えてくることが多くなりました。シニア犬になってから、面倒みるのが可愛かったし、頼ってくれるのがすごく嬉しかったのです。

私がもうだめかもと思ったことは3度ありました。その度にくうは復活してくれました。こいつは絶対しぶといやつだなと思っていたので、今回もきっと大丈夫、また食べれるようになると信じていました。

前の日まですごく調子いいなぁと思っていたのに。
しっかり食べていたし、外に連れていき日光浴もしていました。

急に血便になり、病院に行って点滴をしてもらいましたが、次の日の午前中、仕事に行っている間に亡くなってしまいました。

あとから飼っていたもう一匹の愛犬が一緒にいてくれたので、ひとりでなかったのは良かったと思っていますが、もう少し頑張ってくれるだろうと軽く思っていたので、すごくショックでした。

家に帰ってもくうがいないという現実、気にかける相手がいない、もっと面倒みたかったのに…。少しずつ現実を受け止めてはきていると思うのですが、やっぱり寂しくて悲しいです。
だって人生の半分近くを一緒に過ごしてきたんですから。

くうとの写真をたくさん現像して見返しました。どれも楽しい想い出ばかりです。こんなたくさんの想い出をくれたくうには感謝しないわけがありません。

だから、この想い出を忘れずに私はこれから生きていけると思い始めてきています。が、これからもう一匹の愛犬と二人きりで生きていくという覚悟をするのにはもう少し時間がかかりそうです。

岡山県岡山市 女性 54歳

19年、一緒に過ごした猫のしんちゃんと、お正月にお別れをしました。
昨年の11月の末から、咳が出て、獣医さんから「肺が異常です。検査も出来ないし、どうしますか?」と言われ、しんどくない様に出来る限りのことをしてあげました。
だんだん、苦しくなって、お正月に息が出来なくってなくなりました。
ずっと、付き添っていました。そんな私を、母は、馬鹿にしたり、責めたりしました。私のことを、1番わかってくれていたのが、しんちゃんだったんです。
悲しく、悲しくて、泣いてばかりです。亡くなってすぐは、しんちゃんに、みんな優しく良くしてくれたことに、感謝してました。側にいてくれている感じがしていました。でも、今は、ただ、淋しくて、悲しくて仕方ありません。たった一人になってしまった淋しさが、とても辛いです。
大好きなしんちゃん、病気を治してあげられなくて、ごめんね。
苦しい思いをさせてごめんね。
泣いてばかりでごめんね。

京都市伏見区 52歳 会社員

2日前、愛犬の黒ラブラドールのラブが突然亡くなりました。9歳と9カ月でした。
突然、具合が悪くなり病院に連れて行き、そのまま入院しました。翌日の10時に病院にきてくださいとの事で、病院を後にしました。
翌日の9時に、痙攣を起こし呼吸が止まったと連絡が入り、すぐに病院に行きましたが意識もなく心臓も止まってました。
病院に預けた時に、起き上がれなかったのに、私が帰ろうとすると、ゆっくりと階段を登り出口にきました。多分、帰りたかったのでしょう。なんで、連れて帰らなかったのかと後悔しています。最後、看取ってやれなかった事が悔やんでも悔やんでも悔みきれません。

とても、人懐こい子でみんなに声をかけてもらってました。人から痛い思いをされた事もなかったので、誰にでも尻尾をふっていました。
食べる事、散歩が大好きでした。

あまりにも突然で、どうしたらいいのか考え気力もなく、何もする気になりません。
今日、火葬場に行ってきて今はラブがいた部屋に骨壷にいます。
誰が悪いわけでもないので、誰かを責めることもないです。責めてラブが戻ってくる事もありません。
ただ、ラブが私の周りにいつも寄り添うように寝ていたんです。そのラブがいなくなった事が、まだ信じられません。
家族のみんなは、いっぱいの愛情をそそいであげたので幸せだったよ。と言ってくれてます。

現実を受け入れてはいますが、哀しみは癒えません。
時間が解決してくれると思いますが、いつになるか。
自分で乗り越えるしかないんですね。

愛知県岡崎市 男性 会社員

昨日、8月9日の朝8時、入院先の動物病院から電話があり、マルチーズの「ピノ」が亡くなりました。13才でした。
犬を飼ったことがない私がペットショップで一目惚れして家族になったピノ。
仕事から帰宅すると部屋はおしっこ・ウンチだらけだったり、ティッシュの海だったこともしばしば、本当に悪い子でした。
それから1年後、公園で拾ってきた仔猫「チィ」、2年後に動物病院から引き取った仔猫「マリ」にかかりきりで、ピノには寂しい思いをさせました。
ピノは元々皮膚が弱く、膿皮病の抗生物質と痒み止めの薬が欠かせませんでした。
薬漬けにしなければもう少し永く生きられたのかもしれない…。
腎不全で入院し4日目、亡くなる前の日の夜、入院中のピノに面会に行きだっこした時、ピノが涙を流したんです。
今思うとピノは「もう頑張ることができないよ。パパ!家に帰りたいよ。」と、訴えてたのかもしれません。
ピノの気持ちに気づいてあげられず、最期を看取ってあげられなかった私はパパ失格だと悔やんで悔やんで…哀しみが止まりません。
その日のお昼に家族葬をし、ピノの遺骨を家に持ち帰ってきました。でもまだ実感がなくペットロス真っ最中です。
苦しまずに息を引き取ったっと医師から聞いて、ほんの少しだけ救われた気持ちになりましたがやはり最期は看取ってあげたかったです。

北海道千歳市 女性 パート

昨日、我が家の黒ラブ フレディーが亡くなりました。虐待犬だった彼を引き取って13年と2か月も経っていたんだと知りました。
ボコボコに殴られ続けタバコで焼かれていたという彼のそれまでの生活を忘れてほしいと願い可愛がってきました。つらい経験を生き抜いた彼は、つまらないことで落ち込む私をいいさ、いいさ。人生捨てたもんじゃないさ。と言わんばかりの目でいつもそばに寄り添ってくれました。フレディーが亡くなる前日から夫は家じゅうに掃除機をかけて彼の毛を掃除しました。亡くなってからは出来ないと。
今朝になって目にするブラシやタオルに残った彼の毛や香りに私たちはただ涙するのみです。彼に感謝するばかりでもうこれ以上彼に甘えることも甘えさせて上げることもできないなんて。カレンダーを見ながら先週の今頃は。3日前のこの時間ですら彼と触れ合うことができていたのにと時間の流れを戻したい思いです。フレディー、君と別れたくないよ 。

S氏 女性

家に、12年8ヶ月一緒に暮らしていた(;_;)猫クウーチャンがいました。 スコチュシユホールドでした。
突然1月30日の朝は普通に元気にしてましたが、9時過ぎに倒れて、ウオ~ウオ~ウオ~と3回泣いてそのまま死んじゃいました。
突然だったので何が何だか分かりませんでした。 女の子でした。寿命だったのですかね?? 中々立ち直れません。
思い出しては泣いています。 昨日の夜裏に埋めて上げました。いままで有難うと言ってね。

秋田県北秋田市在住 男性 47歳

花になったポンタ

自分の家は田舎にあって自分が幼少のころから猫を飼い続けておりました。
三毛猫が多かったのですが家が国道沿いにあったこともあってたいてい短命に終わってしまいました。
自分が社会人となり家族がもらってきた猫のポンタもまた一度車にひかれました。
しかし動物病院に運ぶ際中の車の中でポンタはむくむくと動きだし病院に着くころにはすっかり回復してしまったのです。
診察の結果も奇跡のように良好で以後変わらず生活できました。その後国道にバイパスができて安全に暮らせるようになりました。

ポンタはメスで一度だけ4匹の子供を産みました。子供たちのうち2匹は知り合いに引き取ってもらいました。
2匹はそのまま飼い続けましたが親猫より先に旅立ってしまいました。
その後は手術をしてポンタは飼い主にべったりの猫になりました。
ポンタは20年と数か月ほど生き続けおととい旅立ちました。前から患っていた猫に特有の腎臓の病気でした。
人間でいえば100歳を超える?くらい長生きしたので天寿を全うしたと思っています。
ちゃんと子供を産ませ長生きさせることができて、できるだけのことはしてあげられたとは思っています。

ポンタは死んで花になりました。
点滴の約束をしていた動物病院にポンタが旅立ったことを連絡するとわざわざ花を送ってくれました。
その花をポンタのお気に入りの出窓の座布団の上に飾りました。
ポンタがいなくなって生じた心の穴をうめてくれるように花は美しく咲いています。
ポンタの写真をプリントアウトして花に添えたらあまりに辛くて直視できず花だけを飾っています。
まるでポンタが花になったようです。

自分のペットロスとの付き合いはこれから始まるのでしょう。
しかし決して自分が暗く落ち込んでばかりいるのはポンタも望んでいないでしょう。
ポンタは立派に生き続けました。
自分もポンタに負けないくらいちゃんと生きていかなければそしていつかあの世でポンタと出会えたらと思っています。

神奈川県川崎市 主婦 52歳

体験記 パート2(ミルミルの死に対して二度目の投稿になります)

前回気持ちの整理を付けようとこの体験記を書いたのが、ミルミルを亡くしてまだ1ヶ月もたたなかった時。もうとにかく悲しくて悲しくて心のやり場がなく完全にうつ状態でしたが、半年が過ぎ少し私自身も変化したのでまた新たな気持ちで書いてみようと思いペンをとりました。

やっぱり今でも時々涙が出ます。でもその涙する間隔が10日とか2週間とか以前より長くなりました。もちろん思い出さない日はないけれど、時間がいい思い出として解決してくれたのだと思います。
そして何よりまた新しい子を迎えられたこと。
やはりこれもタイミングと縁だと思いました。心の整理もつかないまま急ぎすぎると前回の苦い経験のようにうまくいきません。(直前で里親になれなかったこと)
しかしミルミルを亡くして2か月半の時、娘の知人から話をいただき、とてもかわいい2匹の兄弟猫(オス、メス)と出会うことが出来ました。もうただただ感謝で、今はやんちゃな2匹にふりまわされながらほのかな幸せといやしを感じています。
きっと天からミルミルが導いてくれたんだと信じています。

あれから半年、あの時はこんな穏やかな日々を過ごせるなんて想像も出来ませんでした。ペットロスの本も読んだし講演会も行ったりして何とか打開策がないかもがいていました。でも今思うことは、苦しい体験も無駄ではなく新たな幸せへの一歩であると、悲しくて何も出来なくてもその時はそれでいいのだと、必ずまた幸せが訪れるのだから、その時を待つことも大事だと。
私の場合はやっぱり大好きなネコたちが幸せを運んでくれました。

ただもうすぐ去勢、避妊の手術をしなければならず、それがすごく不安ではあるのですが…
でもきっとそれも今度こをうまくいくと信じています。ミルンが守ってくれているのだから。

神奈川県川崎市 主婦 52歳

私のミルミルと(10ヶ月、オス猫)との別れは、あまりにも突然でした。

あの日、去勢手術をして麻酔からさめた時けいれん様の発作をおこしそのまま死んでしまったのです。
朝までふつうに元気一杯だったので、そんな残酷な現実受け入れられるはずがありません。
獣医師いわく、去勢手術後の急変は年間でもごく数例しかないことだと、なんでそんな運の悪いことが、よりによってうちの子なんだと信じられない思いと、私が勝手に決めてしまった手術で命を落としてしまったミルミルがかわいそうで、涙がこぼれない日はありません。もうすぐ1ヶ月になろうとしていますが…

自分を責める毎日で悔やんでも悔やみきれず、さみしくて悲しくてなかなか立ち直れずにいます。
私に一番なついてくれて帰宅すると玄関までとんできてくれたミルミル。そのあとはいつも私にだきついてくれました。
あと15年位老猫になるまで一緒に暮らしていくつもりだったのに。
3年前に8才の愛猫の病死を経験していますが、その時はあきらめもつきましたし、いつの間にか喪失感は時間が解決してくれました。
しかし今回は、まだ若くあんな形での亡くなり方のためかペットロスがひどく、本当に涙の毎日で立ち直れないでいます。病院に向かう車の中で不安そうに鳴いていた声が忘れられません。

ペットロス関係の本も2冊読みました。だいぶなぐさめられて、その中に新しい子を迎えるのも1つの方法とあったので、私も心の整理をつけようと2週目が過ぎた時、里親探しの譲渡会で新しい子をもらうことにしたのですが、自宅に届けてもらった段階で譲渡側の意向と一致しない部分があるとかで一方的に契約破棄され、心ない言葉をたくさんあびせられました。
それでなくても傷ついている心に追い打ちをかけるように。
ひどい里親会だと思いました。
新しい子と心新たにがんばろうと思っていたのですが、縁がなかったのでしょうね。

きっとまたミルミルがもっとすてきな縁に巡り合せてくれると信じて、まだもう少し心の回復に時間がかかりそうですが、ごめんねからありがとうと言えるようにミルミルのおもかげを胸にがんばりたいと思っています。

広島県広島市 女性

もうすぐ四十九日をむかえます・・・。
あと、2週間で15歳の誕生日でした。

若くして亡くなったわけじゃない。
長生きの方だったと思います。
亡くなる二か月前から心臓が悪くなり徐々に
弱っていったので、この日を覚悟できていました。
自分のできることを一生懸命にやったと思うので
介護や看病の後悔も不思議とありません。
最期を看取ることも出来ました。
ある意味、理想的なお別れだったと思います。

でも・・・
トムがここにいない・・もうここにはいない。
その現 実が・・哀しく苦しいのです・・・
何をしていても涙が出ます。
骨壺を抱きしめて泣きます。

丁度、母の介護と自分の病気と愛犬の介護が重なり、正直辛かったです。
特にここ半年間は、食も細くなり夜鳴きもひどく寝てくれないので
私の精神や体力も限界に感じていました。
そんな日々の中、トムは旅立ってしまいました。

トムは・・・私の体を気遣って亡くなったと思うのです。
「ボクのことは、もういいよ。苦労しないでいいよ」って

「でも、ボクのこと忘れないで、ずっと忘れないで」って・・・
だから・・私の誕生日の日に、私のいつも座っているパソコンの前まで
行って倒れ最期を迎えたのだと思います。
この日を自身で選んだのだと思いました。

この事で、私の哀しみはより深いものとなりました。
涙が枯れる ことはありません・・・。

だけど、ある日ネットで虹の橋の“雨降り地区”のお話を読んで、
私が、ずっと泣いていると、このコは冷たい雨に打たれて
寒く悲しい思いをしているのだと知りました。
それから、あまり泣いてばかりいてはいけないなと
思うようになりました。

分骨をして一緒にいようと決めました。
小さなカプセルを購入し、小さな遺骨を納めました。
色んな意見があり、迷いましたが自分が納得する方法を選びました。

こんなにも自分が打ちひしがれるとは想像ができませんでした。
でも・・・それだけ愛していたのだと今は思っています。
そして、私の誕生日を選んで旅立ったトムに強い絆を感じています。

神奈川県足柄上郡 神職 33歳

この一年数か月の間に我が家では、たて続きに三匹の犬と猫が亡くなってしまいました。キャバリアの瑠那(るな・8歳メス)と、雑種の猫の麗(うるは・17歳オス)と、井宿(ちちり・22歳メス)です。しかしながら、飼い主である私の母や妹は所謂ペットロスには陥らず、この三匹と一緒に生活出来た事へ感謝を抱いています。

我が家では自宅に神棚を祀り日々の感謝をしながら生活していますが、その事も大きかったのでは無いかと思います。特に母は三匹が亡くなって、「みんな、神様のお使いさんになった」と思っている様です。

稲荷神社のお狐様が一番わかりやすいかと思いますが、日本の神様には神様のお使いである「神使(しんし)」と言う動物達が居ます。母はその神使になぞらえ、亡くなった三匹が我が家の守り神である神棚の神様のお使いさんになったのだと考え、三匹たちが今度は私ども家族を守って下さると思っている様です。母の愛読書が「ぎんぎつね(落合さより著)」と言う漫画なのも、切っ掛けとしては大きそうです。

私自身、神職として神社に仕えている身ではありますが、母のこの考え方はとても日本人らしい考え方では無いかと思うのです。この国は、自然にある岩や木、山や海など全ての物に神々が宿ると言う考えがあります。その素晴らしい考え方の延長線からからでしょう。とても前向きな母に私は脱帽するばかりです。

亡くなってはしまいましたが、三匹たちの御霊も含めた我が家の生活は延々とこれからも続きます。

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